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00 — ORIGINS
島々とグスクの時代
沖縄の城跡を訪れると、石垣がやわらかな曲線を描いていることに気づきます。本土の城とはまるで違う姿です。琉球王国が生まれる前、按司(あじ)と呼ばれる有力者たちがグスクを築き、争い、まとまっていった時代をたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
サンゴ礁の上に、人が暮らし始めた
史実沖縄の島々は、古いサンゴ礁が隆起してできた石灰岩の土地が多く、骨が残りやすい環境です。そのため旧石器時代の人骨が数多く見つかっています。本島南部の八重瀬町で見つかった港川人は約2万年前のもので、日本でもっとも保存状態のよい旧石器時代の人骨の一つです。
その後、長いあいだ島の人々は、海の幸や木の実をとって暮らしました。本土の縄文・弥生時代にあたるこの時期を、沖縄では貝塚時代と呼びます。南の海でとれる大きな巻貝・ゴホウラやイモガイは、九州の人々の腕輪の材料として北へ運ばれていました。島々は、このころから海の道でつながっていたのです。
グスクと按司の時代
史実12世紀ごろになると、農耕が広がり、村ができ、各地に按司(あじ)と呼ばれる有力者が現れます。按司たちは、見晴らしのよい丘の上に石垣をめぐらせたグスクを築きました。この時代をグスク時代といいます。
有力説グスクは、城としての役割だけでなく、集落の聖地や拝所としての性格ももっていたと考えられています。今もグスクの中には御嶽(うたき)があり、地元の人が拝みに訪れます。「城」と書いて「グスク」と読むのは、城そのものより古い、この島の言葉なのです。
三山の時代、そして統一へ
史実14世紀になると、按司たちの勢力は三つにまとまりました。本島北部の北山(ほくざん)、中部の中山(ちゅうざん)、南部の南山(なんざん)です。三つの王はそれぞれ中国の明に使者を送り、貿易の利益を競い合いました。
史実この争いを終わらせたのが、南部の佐敷の按司から身を起こした尚巴志(しょうはし)です。中山を手に入れて首里を拠点とし、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼして、三山を統一しました。ここから琉球王国の歴史が始まります(首里城の部屋)。
ここを見る:石垣の「曲線」と「相方積み」
中城城跡や今帰仁城跡、勝連城跡の石垣は、地形に沿ってゆるやかにうねります。石の積み方にも注目。四角く切った石を横に並べる「布積み」、多角形の石をすき間なく組み合わせる「相方積み(あいかたづみ)」など、時代や場所によって違いがあります。中城城跡では、その両方を見比べることができます。


最後の按司・阿麻和利と護佐丸
王国ができたあとも、有力な按司は各地に残っていました。1458年、中城グスクの護佐丸(ごさまる)と勝連グスクの阿麻和利(あまわり)が相次いで滅びます。この出来事は、のちの王府の歴史書では「忠臣・護佐丸と逆臣・阿麻和利」として描かれ、組踊の題材にもなりました。一方、勝連の古い歌謡集『おもろさうし』では、阿麻和利は人々に慕われた按司として謡われています。勝った側が書いた歴史と、地元に残る歌。その食い違いが、今も地元で語られています。
主な参考資料:沖縄県立博物館・美術館/中城城跡共同管理協議会「中城城跡」/うるま市「勝連城跡」/八重瀬町「港川人」