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07 — ARTS

三線・エイサー・空手

蛇の皮を張った弦楽器、旧盆の夜に響く太鼓、王府の宴を彩った舞台、そして素手で身を守る武術。沖縄が生んだ音と身体の文化は、中国や日本の影響を受けながら、島の中で独自のかたちに育ちました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

三線 ― 床の間に飾る楽器

有力説三線(さんしん)は、中国の三弦という楽器が14〜15世紀ごろに伝わり、琉球で形を整えたものと考えられています。胴にはニシキヘビの皮が張られ、つま弾くような音色が特徴です。王府には三線の音楽をつかさどる役職も置かれ、士族のたしなみとして大切にされました。

史実18世紀には、三線の楽譜「工工四(くんくんしー)」がつくられました。音の高さを漢字で表す、独特の楽譜です。

有力説16世紀、三線は大阪の堺へ伝わり、猫や犬の皮を張る三味線になったといわれます。沖縄の家では、よい三線は床の間に飾られ、家宝として受け継がれてきました。

ここを見る:カンカラ三線

沖縄戦のあと、収容所の人々は、空き缶を胴にし、木切れを棹に、パラシュートのひもを弦にして三線をつくりました。カンカラ三線と呼ばれるこの楽器は、何もかも失った人々の心を支えたといわれます。今も手づくりの体験や、学校の授業で使われることがあります。

エイサー ― 祖先を送る踊り

史実エイサーは、旧盆に帰ってきた祖先の霊を、あの世へ送り出すための踊りです。旧盆の夜、集落の青年たちが太鼓を打ち、三線と歌に合わせて踊りながら、家々を回ります(道ジュネー)。

有力説その起源は、17世紀の初めに琉球を訪れた浄土宗の僧・袋中(たいちゅう)が伝えた念仏踊りにあるといわれます。戦後、沖縄市(当時のコザ)で1956年に始まった大会は、今の沖縄全島エイサーまつりにつながり、エイサーは沖縄の夏を代表する行事になりました。

組踊 ― 冊封使をもてなした舞台

史実組踊(くみおどり)は、せりふ・音楽・踊りを組み合わせた琉球の歌舞劇です。1719年、中国皇帝の使者・冊封使をもてなすため、踊奉行の玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が初めて上演しました。能や歌舞伎など日本の芸能に学びながら、琉球の言葉と音楽でつくられた舞台です。

史実組踊は1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年にはユネスコの無形文化遺産にも登録されました。浦添市の国立劇場おきなわで、今も上演されています。

空手 ― 唐の手から、空の手へ

有力説空手は、琉球に古くからあった武術「手(ティー)」に、中国の拳法の影響が加わって生まれたと考えられています。かつては「唐手(とうで/からて)」と書かれていました。

史実1922年、船越義珍(ふなこしぎちん)が東京で唐手を紹介し、本土でも広まっていきます。1936年10月25日、那覇で開かれた空手の大家たちの座談会で、名前を「空手」に統一することが確認されました。この日にちなみ、10月25日は「空手の日」とされています。空手は2021年に開かれた東京オリンピックで、初めて正式種目になりました。

エイサー
エイサー県内各地
三線
三線県内各地

「空手に先手なし」

空手の世界でよく語られる言葉です。空手は自分から攻撃するためではなく、身を守るためのもの、という考え方を表しています。沖縄県は2017年、豊見城市に沖縄空手会館を開きました。世界各地から、空手の「ふるさと」を訪れる人々がやって来ます。

主な参考資料:国立劇場おきなわ「組踊」/沖縄県「空手の日」・沖縄空手会館/沖縄市「沖縄全島エイサーまつり」/沖縄県立博物館・美術館

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