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06 — PRAYER

御嶽・ノロ・ユタ

沖縄の聖地には、社殿も鳥居もないことがよくあります。あるのは森と岩と、小さな香炉だけ。けれど地元の人は、そこを何よりも大切な場所として拝んできました。女性が祈りを担い、祖先とともに暮らす、沖縄の祈りの形を紹介します。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

何もない場所こそが、いちばん神聖

史実沖縄の村々には、御嶽(うたき)と呼ばれる聖地があります。多くは集落の近くの森や岩場で、神が降りてくる場所、あるいは村の祖先が眠る場所と考えられてきました。御嶽の奥のもっとも神聖な場所は「イビ」と呼ばれ、限られた人しか入ることができません。

本土の神社のように建物があるとは限らず、木々に囲まれた空間に石や香炉が置かれているだけ、ということも少なくありません。形あるものを建てないことが、むしろ聖地らしさを表しているのです。御嶽を訪れるときは、大声を出したり、石や植物を持ち帰ったりしないのが礼儀です。

斎場御嶽 ― 王国最高の聖地

史実本島南部の南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国でもっとも格の高い聖地の一つでした。王府の最高位の神女・聞得大君(きこえおおきみ)が位につくときの儀式「御新下り(おあらおり)」も、ここで行われました。2000年には世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして登録されています。

ここを見る:三庫理の向こうの久高島

斎場御嶽の奥には、二枚の巨大な岩がもたれ合ってできた三角形のすき間「三庫理(さんぐーい)」があります。すき間を抜けた先からは、海の向こうに久高島(くだかじま)が見えます。久高島は、琉球の島々をつくった神アマミキヨが最初に降り立った島と伝えられ、「神の島」と呼ばれてきました。

伝承

「王も女性の姿で入った」

斎場御嶽はかつて男子禁制で、国王が参拝するときも、女性の着物を身につけて入った――という話がよく語られる。

史実

祭祀の中心は女性だった

確かな記録は乏しいが、王国の祭祀を担ったのが聞得大君をはじめとする女性の神女たちだったことは確か。男性の立ち入りが厳しく制限された聖域も多かった。

祈りを担う女性たち ― ノロ

史実琉球王国では、国の祭祀を女性の神女が担いました。頂点に立つのが聞得大君で、多くは国王の姉妹など王家の女性が任じられました。その下で、各地の村の祭祀をつかさどったのがノロ(祝女)です。ノロは王府から任命され、役目のための土地も与えられていました。

沖縄には、姉妹が兄弟を霊的に守るという「をなり神(うなりがみ)」の考え方があります。航海に出る兄弟に、姉妹が自分の髪の毛や手ぬぐいをお守りとして持たせた、という話も伝わっています。女性が祈りの中心にいるのは、この信仰とも深く結びついています。

ユタ ― 人々の相談相手

史実ノロが村の公の祭祀を担ったのに対し、個人や家族の悩みに応えてきたのがユタです。霊的な力をもつとされ、病気や不幸が続くとき、家を建てるとき、先祖の供養のしかたに迷ったときなどに相談されてきました。

史実ユタは、王府の時代から明治以降、戦時中にかけて、たびたび「迷信」として取り締まりの対象になりました。それでも人々の信頼は失われず、今も相談に訪れる人は少なくありません。沖縄には「医者半分、ユタ半分」という言い回しもあります。体のことは医者に、心や家のことはユタに、という感覚です。

台所の神さまと、大きなお墓

沖縄の多くの家の台所には、火の神(ヒヌカン)がまつられています。もとは三つの石をかまどに見立てたものでしたが、今は香炉と花立てを置いた小さな祭壇の形が一般的です。家を守る神として、旧暦の1日と15日などに、主に家の女性が手を合わせます。

史実沖縄のお墓は大きく、なかでも亀の甲羅のような屋根をもつ亀甲墓(きっこうばか/かめこうばか)は、中国南部の影響を受けたものといわれます。4月ごろの清明祭(シーミー)には、同じ祖先をもつ親族(門中)が墓の前に集まり、重箱料理を広げて祖先とともに食事をします。

斎場御嶽の三庫理
斎場御嶽南城市
亀甲墓
亀甲墓県内各地

主な参考資料:南城市「斎場御嶽」/沖縄県立博物館・美術館/沖縄県教育委員会『沖縄の民俗』

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