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07 — WINTER

マイナス41℃の記憶

1902年1月25日、旭川の気温は−41.0℃まで下がりました。120年以上たった今も、日本の公式最低気温の記録です。そして同じ寒波のさなか、青森の八甲田山では、あの雪中行軍の遭難が起きていました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

日本最低気温、−41.0℃

史実1902年(明治35年)1月25日、旭川測候所は−41.0℃を観測しました。気象庁の公式記録として、これは今も破られていない日本の最低気温です。

なぜ旭川はここまで冷えるのか。鍵は盆地の地形です。晴れて風の弱い夜、地面の熱は空へ逃げていき(放射冷却)、冷えて重くなった空気が盆地の底にたまります。周りを山に囲まれた上川盆地は、冷気の「器」のような場所なのです。

−41.0℃1902年1月25日 旭川で観測(日本の最低気温記録)
199人同じ寒波の中、八甲田山雪中行軍で亡くなった人数(210人中)
38.4℃2021年7月31日 市内の江丹別で観測。夏は意外と暑い

同じ寒波が、八甲田山を襲った

史実旭川が記録的な冷え込みを迎えたちょうどそのころ、青森では陸軍第八師団の歩兵第五連隊が八甲田山で雪中行軍を行っていました。1月23日に出発した部隊は猛吹雪に巻き込まれ、210人中199人が亡くなるという大惨事になります。

北海道と東北を覆った強い寒波。旭川の−41℃と八甲田山の遭難は、同じ気象現象の、別々の場所での現れでした。新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を読むと、この冬の寒さのすさまじさがよく伝わってきます(関連書籍)。

寒さを楽しむ ― 冬まつりと大雪像

史実旭川の冬の祭りは、戦後まもない時期に始まりました。1951年3月には「旭川雪まつり」が開かれ、1960年2月、第1回の「旭川冬まつり」が開催されています。石狩川の河川敷を会場に、巨大な雪像がそびえるのが名物です。

大雪像づくりには、陸上自衛隊の隊員たちが協力しています。軍都として始まった町の、自衛隊と市民の関係が見える風景でもあります。過去には、世界最大級の雪像としてギネス世界記録に認定されたこともあるといわれます。

都市伝説

「雪まつりは旭川の方が先」

地元でよく聞く話。旭川では1946年ごろ、常盤公園で雪像をつくる催しの構想があったとも伝わる。

有力説

記録上は札幌が1950年

さっぽろ雪まつりの第1回は1950年、旭川雪まつりは1951年。「旭川が先」とするには、何を「始まり」とみなすかで話が変わる。

ここを見る:冬の朝の現象

厳冬期の晴れた早朝には、空気中の水蒸気が凍ってきらめくダイヤモンドダストや、川面から湯気のように霧が立つけあらし、木々を白く包む樹霜が見られることがあります。−20℃を下回る朝こそ、旭川の冬のいちばん美しい時間です。

厳冬の朝の旭川
冬の朝市内
旭川冬まつりの大雪像
旭川冬まつり石狩川河川敷

バタフライエフェクト:寒さは「資源」だった

冷めないラーメン、寒仕込みの酒、雪像の祭り。寒さは暮らしの敵であると同時に、旭川の産業と文化を育てた資源でもありました。

主な参考資料:気象庁「歴代全国ランキング」/旭川冬まつり実行委員会/青森市「八甲田山雪中行軍遭難資料館」

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