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05 — CRAFT

旭川家具とものづくり

「安いけれど、質はいまひとつ」。かつてそう言われた旭川の家具は、半世紀をかけて、世界のデザイナーが作品を送ってくる家具の町になりました。職人の町の始まりは、じつは軍都の建設現場にありました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

始まりは、師団と鉄道の建設現場

有力説旭川に木工職人が集まったきっかけは、明治の終わりの第七師団の移駐と鉄道の建設だといわれます。兵営、官舎、駅舎、商店。一気に町をつくるために、全国から大工や建具職人が呼び寄せられました。周囲の山には、ナラやタモ、イタヤカエデといった良質な広葉樹があふれていました。

工事が一段落しても、職人たちの多くは旭川に残りました。建具やたんす、生活の道具をつくる仕事が町に根づいていきます。

凶作が生んだ「木工の町」

有力説大正のはじめ、1914年(大正3年)前後の凶作は、上川の農家を苦しめました。冬の間の収入をどう得るか。そこで広がったのが、木工の技術を身につける徒弟制度や講習です。農業だけに頼らない暮らしのために、木を加工する技が受け継がれていきました。

「安かろう」の時代

戦後、旭川は量産家具の産地として成長します。けれど当時の評判は、決して高いものではありませんでした。「安いが質が低い」。大都市の家具店で、旭川の名前がブランドとして語られることはほとんどなかったといいます。

情熱大陸的転機:デザインで勝負する

このままでは価格競争に飲み込まれる。危機感を持った旭川の家具業界は、「デザインと品質で選ばれる家具」へと舵を切ります。職人たちは海外の家具産地を視察し、デザイナーと組み、無垢材の良さを生かした家具づくりに取り組みました。1990年には国際家具デザインコンペティション旭川(IFDA)が始まり、3年ごとに世界中から応募作品が集まるようになります。

現在、旭川家具の多くは東京をはじめとする大都市圏へ出荷されており、その割合は8割ほどといわれます。毎年初夏には「旭川デザインウィーク」が開かれ、工房やショールームをめぐる人々で町がにぎわいます。

ここを見る:工房の「木の見せ方」

旭川家具の工房やショールームでは、木目の出し方、脚と座面のつなぎ方、手ざわりの仕上げに注目してみてください。「同じナラ材でも、木取りでこれだけ表情が変わる」と教えてもらえることもあります。

旭川家具の椅子
旭川家具市内の工房・ショールーム
木工工房の作業風景
木工の工房市内
都市伝説

「旭川家具は旭川の木だけで作る」

地元材へのこだわりは強いが、実際には国内外のさまざまな木材が使われる。木の良さを生かす技術こそが「旭川らしさ」といえる。

史実

北海道の広葉樹と旭川

ナラやタモなど北海道の広葉樹は、明治から大正にかけて輸出材としても重宝された。旭川はその集散地のひとつだった。

主な参考資料:旭川家具工業協同組合/国際家具デザインコンペティション旭川(IFDA)/旭川デザインウィーク/旭川市「旭川市史」

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