石狩川と忠別川の合流点付近
石狩川と忠別川の合流点付近

ASAHIKAWA, HOKKAIDO

川が集まり、
北の都を夢見た町。

四つの川が出会う上川盆地。明治の政府はここに「北の京」を置こうとし、軍は師団を置き、職人たちは木を削り、厳しい冬はラーメンの味まで決めました。 観光ガイドには載らない、けれど旭川の人なら知っている「なぜ」を、史実と伝承の境目を示しながらたどります。

FOUR KEYS

旭川を読み解く、四つの鍵

この町の歴史は、ほとんどがこの四つのどれかにつながっています。

KEY 01

川が集まる

石狩川に忠別川・美瑛川・牛朱別川が流れ込む合流点。市内の川は約160本、橋は700を超えるといわれ、「川のまち」という呼び名はそのままの意味です。

KEY 02

幻の都

明治の中ごろ、上川盆地に「北京(ほっけい)」を置き、離宮を建てる計画が本気で進められました。都は来ませんでしたが、その構想が町の骨組みを決めました。

KEY 03

軍都の記憶

1901年、札幌から第七師団がやって来ます。師団へ向かう一本道は、戦後「平和通」となり、日本初の恒久的な歩行者天国に生まれ変わりました。

KEY 04

マイナス41℃

1902年に記録した−41.0℃は、今も日本の公式最低気温。寒さは不便であると同時に、食べ物や祭り、ものづくりを生む原動力でもありました。

WHY HERE?

なぜ、この盆地だったのか

旭川は北海道のほぼ真ん中、大雪山の西にひらけた上川盆地にあります。石狩川は大雪山から流れ出し、この盆地で支流を次々に集め、神居古潭の狭い峡谷を抜けて石狩平野へ下っていきます。

つまり旭川は、川の道が一本に束ねられる「結び目」です。アイヌの人々にとっては鮭がのぼり、人が行き来する場所でした。明治の政府には、内陸の守りと開拓の拠点にうってつけの平地に見えました。港町の札幌・小樽とは違う、「内陸の中心」としての旭川の性格は、この地形から始まっています。

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石狩川 美瑛川 忠別川 牛朱別川 旭川の中心部

BUTTERFLY EFFECT

小さな出来事が、町の今をつくった

一つの決定が思わぬところへ波及していく。旭川には、そんな「バタフライエフェクト」がいくつもあります。

1899〜師団の建設が始まる兵営や鉄道の工事に、全国から大工や木工職人が集まる。
大正期凶作と木工の町づくり農業だけでは暮らせない。木を加工する仕事が広がっていく。
昭和〜「安いが質は…」の時代量産家具の産地として知られるが、評判は決して高くなかった。
現在デザインの家具産地へ国際家具デザインコンペを開き、「旭川家具」はブランドになった。
1901第七師団が移駐駅から師団へ向かう道が「師団通り」と呼ばれる。
1945敗戦軍都の目抜き通りは「平和通」と名前を変える。
196912日間の実験車を締め出す社会実験。1日1万6千台の車が消えても、町は困らなかった。
1972買物公園の誕生日本初の恒久的な歩行者天国に。全国の商店街の見本になる。
冬−41℃の盆地放射冷却で冷え込む土地。熱いものは、すぐ冷める。
1947屋台のラーメン戦後まもなく、のちの名店が店を開く。
工夫ラードの膜スープの表面を脂でふたをして、最後まで熱く。
いま旭川ラーメン魚介と豚骨の「Wスープ」、低加水の縮れ麺。寒さが決めた味。

13 ROOMS

13の部屋から、旭川へ

気になるところから読めます。上から順に読むと、盆地が町になり、町が今の姿になるまでが一本の物語としてつながります。

LOCAL COMMON SENSE

旭川の人には「常識」

外から来るとちょっと驚く、けれど地元ではあたりまえのこと。

  • 住所は「◯条◯丁目」中心部は碁盤の目。「4条8丁目」のように言えば、地元の人にはだいたい場所が浮かびます。
  • 「買物公園」は公園ではない駅前から北へのびる歩行者天国の名前。待ち合わせは「買物公園の◯丁目」で通じます。
  • 「北鎮(ほくちん)」北の守りを意味する言葉。第七師団は「北鎮部隊」と呼ばれ、今も記念館の名に残ります。
  • 冬の朝の「しばれる」ただ寒いのではなく、凍りつくような寒さ。−20℃を下回る朝も珍しくありません。
  • 夏は意外と暑い盆地なので夏は30℃を超える日も多く、年間の寒暖差は日本でも指折りです。
  • 「北の灘」水と米と寒さに恵まれた旭川は、明治から酒どころ。いくつもの酒蔵が今も酒を仕込んでいます。

TIMELINE

年表でたどる旭川

古くから

上川アイヌの地

石狩川の上流域には、鮭をとり、川沿いに暮らす上川アイヌの人々のコタン(集落)がありました。

1885

岩村通俊・永山武四郎らが上川を視察

内陸に「北京」を置く構想が具体化していきます。

1889

上川離宮の予定地が決まる

神楽岡一帯に広大な予定地。ただし離宮は建てられませんでした。

1890

旭川村・神居村・永山村ができる

「旭川」の名が初めて行政上の地名になります。

1891〜93

屯田兵の入植

永山・東旭川・当麻に、それぞれ400戸の屯田兵とその家族が入ります。

1898

鉄道が旭川に達する

空知太(滝川)から延びた鉄道で、盆地は石狩平野と結ばれました。

1901

第七師団が旭川へ

「軍都」の始まり。人口が急増し、商店と職人が集まります。

1902

−41.0℃を記録

1月25日。日本の公式最低気温として今も破られていません。

1922

市制施行/知里幸恵、東京で死去

旭川区が旭川市に。同じ年、近文で育った19歳の知里幸恵が『アイヌ神謡集』の校正を終えて亡くなります。

1932

現在の旭橋が完成

北海道を代表する鋼アーチ橋。のちに北海道遺産に選ばれます。

1964

三浦綾子『氷点』が懸賞小説に入選

見本林が舞台の小説は、翌年ベストセラーに。

1967

旭山動物園が開園

日本最北の動物園として出発します。

1972

平和通買物公園が誕生

日本初の恒久的な歩行者天国。

2004

旭山動物園、月間入園者数で上野を抜く

あざらし館の完成もあり、8月の入園者数が全国一に。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

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