
札幌を読み解く、四つの鍵
城下町でも港町でもない場所に、わずか150年で日本有数の大都市が生まれた例は、ほかにほとんどありません。その理由をたどると、四つの鍵が見えてきます。
一つは地形。豊平川がつくった扇状地は水はけがよく、扇の先には清らかな湧き水が並んでいました。一つは設計。何もない原野だったからこそ、国家が一から「理想の都」を描けた。一つは人。本州各地の士族や農民、アメリカ人技師、そして古くからこの地に暮らしてきたアイヌの人々。そしてもう一つが雪。年間5メートル近い雪と付き合う技術と知恵が、この街の性格そのものをつくりました。
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それぞれ独立して読めます。気になるところから、どうぞ。
乾いた大河か、葦原の川か。入れ替わった山の名、宮城と広島から来た町名。
読む →湧き水「メム」の線、4万年前の火砕流、南へゆるく上る坂。足元から札幌を読む。
読む →半年で解任された判官、用水路が決めた住所の原点、火除けだった大通。
読む →東京に建つはずだった醸造所。それを覆した村橋久成と、路上で終わった生涯。
読む →クラークの札幌滞在はわずか9か月。あの言葉は札幌で言われていない。
読む →雪まつりは6基の雪像から。ゴムタイヤの地下鉄、竹ぼうきの電車、300億円近い除雪費。
読む →「サッポロ一番」は群馬生まれ。薬膳から生まれたカレー、幻の玉ねぎ「札幌黄」。
読む →方言、無落雪屋根、玄関フード、砂箱。旅行者が知らない札幌の日常。
読む →神宮はロシアを睨む? 狸小路の狸の正体? よく聞く話を史料で確かめる。
読む →中高生6人の雪像から200万人の祭りへ。一杯のラーメンから全国の袋麺へ。連鎖でたどる札幌。
読む →石切場跡、ごみ処分場だった公園、茶室、控訴院。知ると見え方が変わる場所。
読む →写真で見る
言葉だけでは伝わらない部分を、実際の風景で。写真は関連するページへのリンクにもなっています。
数字で見る札幌
百万人を超える都市で、これほど雪が降る場所は世界でも珍しいといわれます。その暮らしを支える数字を、いくつか。
札幌の人は住所を「南1西4」のように縮めて言います。「南1条西4丁目」のこと。待ち合わせの定番「4丁目」はこの交差点を指し、駅は「さつえき」。この一文がすらすら読めたら、あなたはもう半分道産子です。
概観
詳しい物語は各ページで。ここでは全体の流れだけを。
火砕流が札幌の南部にまで達し、冷え固まって「札幌軟石」となる。明治の石造建築の材料は、この噴火の置き土産だった。
幕府の命で入植した大友亀太郎が開いた「大友堀」。のちの創成川であり、札幌じゅうの住所の東西の起点になる。
蝦夷地が「北海道」と改称。開拓判官・島義勇が円山の丘から原野を見渡し、碁盤の目の都を描く。しかし着任から半年ほどで解任される。
幅約105メートルの空き地で、北を官庁街、南を民間の町に分けた。同じ年、仙台藩白石の家臣団が入植し「白石村」が生まれる。
東京に建つはずだった醸造所を、村橋久成が札幌へ。同じ夏、クラークを迎えて札幌農学校が開校する。
小樽の手宮と札幌を結ぶ、北海道で最初の鉄道。石炭と人と物が、港と札幌をつなぎ始める。
札幌区から市制へ。人口は10万人をこえたばかりだった。
中高生たちがつくった6基の雪像から始まった祭りは、のちに200万人以上が訪れる冬の祭典に。
ゴムタイヤで走る地下鉄と地下街が誕生し、翌年2月に札幌オリンピック。4月には政令指定都市となる。
1970年代に円山の喫茶店で生まれた「薬膳カリィ」の系譜が、この年一つの名前を得て、やがて全国区の料理に。
札幌駅と大通を結ぶ約520メートルの地下の大通り。雪の日も、歩いて都心を行き来できるようになった。