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08 — 本当か、ウソか
札幌には、地元の人が酒の席やタクシーの中で語る「ちょっといい話」「ちょっと怖い話」がたくさんあります。そのなかには史実もあれば、後からつくられた話も、どちらとも言えない話もある。歴史探偵の気分で、一つずつ確かめてみましょう。
判定の見方
ほぼ事実 半分本当 諸説あり 俗説 の4段階で判定しています。
本殿が北東を向いているのは事実です。一般的な神社は南や東を向くことが多いため、珍しい配置といえます。理由として「北東から迫るロシアへの備え」「鬼門の方角を封じるため」などが語られますが、公式に定められた理由として確認できるものではなく、あくまで語り継がれてきた解釈です。
クラークがこの言葉を語ったとされるのは、札幌を発った後、見送りに来た学生たちと別れた島松(現在の北広島市)の駅逓所です。言葉の続きにも諸説あります。くわしくは農学校とクラークへ。
明治6年ごろにはすでに「狸小路」と呼ばれていました。1891年の書物には「言葉巧みに客を誘う女たちを狸に見立てた」とあり、これが有力な説。ほかに、本当に狸がいたという説や、商人を化かす狸に例えたという説もあります。5丁目の「本陣狸大明神社」は、1973年の狸小路百年を記念して祀られたものです。
1871年、開拓使は工事に集まった人々を引き留めるため、この地に遊郭を置きました。地名の由来には、ススキ(茅)の原野だったという説のほか、工事の責任者だった薄井龍之の姓にちなんで判官の岩村通俊が名づけたという説があり、当時の関係者の証言から後者を有力とする見方もあります。
広く知られた話ですが、元祖とされる「味の三平」の現店主は、この話を否定しています。味噌ラーメンは、狙って試作を重ねた末に1954年に完成した一杯でした。くわしくは食の舞台裏へ。
製造元のサンヨー食品は群馬県で創業した会社で、札幌生まれではありません。ただし、同社の井田毅(のちの社長)がすすきのの「味の三平」のラーメンに感銘を受けたことが開発のきっかけになった、と語られています。名前には、ちゃんと理由があったのです。
アイヌ語の「モイワ(小さな山)」は本来、小ぶりな円山を指し、今の藻岩山は「インカルシペ」と呼ばれていた——という説が有力です。地図づくりの過程で名前がずれたと考えられています。くわしくは地名の謎へ。
本府建設を始めた島義勇が、京都のような整然とした都を構想していたことは伝えられています。ただし、実際の区画や道幅、大通のような防火帯の設計は、明治の開拓使が独自に、そして欧米の知識も取り入れながら進めたもの。京都の「写し」というより、京都を理想像にした新しい都市設計でした。
1940年の冬季大会の開催地に札幌が決まっていましたが、戦争の激化によって日本は開催を返上しました。1972年の札幌オリンピックは、いわば32年越しの“再挑戦”だったのです。
雪虫(トドノネオオワタムシ)は、気温が下がる晩秋に一斉に飛ぶ性質があるため、初雪の時期と重なることが多いのは確か。ただし「何日後」と決まっているわけではなく、年によってずれます。季節の目安としての経験則です。
寒冷な気候のため本州に比べて非常に少ないのは事実で、「見たことがない」という道民も珍しくありません。しかし暖房の効いた飲食店やビルなどでは確認されており、「いない」わけではありません。
1991年公開の映画『ゴジラvsキングギドラ』で、テレビ塔が破壊されるシーンがあります。1957年に完成したテレビ塔は、東京タワーや名古屋のテレビ塔も手がけた「塔博士」内藤多仲の設計。2025年には国の登録有形文化財になりました。
番外編
テレビ塔の地上約60メートルの位置にある電光時計は、1961年に設置されました。これは日本で初めての電光時計とされています。大通公園のどこからでも見える巨大な時計は、札幌の人にとって「時間を確かめる場所」であり、待ち合わせの目印でもあります。
ちなみにテレビ塔には、公式キャラクターとは別に、ある“非公式キャラクター”がいて、なぜか公式並みの扱いを受けています。気になる人は、テレビ塔を訪ねて探してみてください。
本ページの判定は、公開されている史料・資料や報道をもとにした本サイトの見解です。新しい資料によって評価が変わる可能性があります。「この話も調べてほしい」という情報提供は、お問い合わせからお寄せください。
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