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00 — 地名は、土地の履歴書
札幌という名前は、アイヌ語の地名に漢字をあてたものです。けれど、その意味には今も二つの説があります。地名をたどると、豊平川の性格も、開拓の人の流れも、この街の骨格までもが見えてきます。
語源の二つの説
「札幌」の語源として最もよく知られるのは、アイヌ語のサッ・ポロ・ペッ(sat-poro-pet)=「乾いた・大きな・川」という説です。もう一つがサリ・ポロ・ペッ(sar-poro-pet)=「葦原が・広大な・川」という説。どちらも、いまの豊平川のことを指していたと考えられています。
「乾いた大きな川」とは妙な名前に聞こえますが、実は理にかなっています。豊平川は砂利を大量に運んでくる川で、札幌の街はその砂利が積もってできた扇状地の上にあります。水はけのよい砂利の層では、川の水が地下に潜ってしまい、夏の渇水期には川床が干上がることがあった——つまり地形そのものが名前になった、というわけです。
一方で、扇状地の先の低い土地には、湿地や葦原が広がっていました。どちらの説も、それぞれ札幌のある側面をよく言い当てているのです。
1869年、蝦夷地は「北海道」と改められました。案を出したのは探検家の松浦武四郎。彼が示した案の一つは「北加伊道」で、「カイ」はアイヌの人々が自らを呼んだ言葉に由来すると説明しています。最終的に「加伊」が「海」の字に改められ、現在の名前になりました。
ミステリー
夜景で知られる藻岩山。その名はアイヌ語の「モ・イワ」=「小さな・山(岩山)」に由来するとされます。でも、標高531メートルの藻岩山は、札幌の市街地から見ればむしろ大きな山です。ここに、地元の歴史好きのあいだで知られた謎があります。
アイヌの人々が「モイワ」と呼んでいたのは、実は隣にある小ぶりな円山(225メートル)のほうだった、という説が有力なのです。そして現在の藻岩山は「インカルシペ」=「いつも眺める(見張る)所」と呼ばれていたといいます。明治以降に和人が地図をつくる過程で、名前が隣の山にずれて定着してしまった——というのが、この“入れ替わり”の真相と考えられています。


アイヌ語地名の意味は、記録した人や時代によって解釈が分かれるものが少なくありません。本ページでは広く紹介されている説を「〜とされる」の形で示しています。
読めますか?
市内の地名の多くは、アイヌ語の音に漢字をあてたもの。意味を知ると、その土地の地形が浮かび上がります。
| 地名 | 読み | 由来とされるアイヌ語・意味 |
|---|---|---|
| 札幌 | さっぽろ | サッ・ポロ・ペッ(乾いた大きな川)/サリ・ポロ・ペッ(葦原の広い川) |
| 豊平 | とよひら | トゥイェ・ピラ(崩れた崖) 川岸の崖が崩れやすかったことから |
| 真駒内 | まこまない | マク・オマ・ナイ(山奥に入っていく川) |
| 手稲 | ていね | テイネ(濡れている・湿った) 低湿地が広がっていたことに由来するとされる |
| 苗穂 | なえぼ | ナイ・ポ(小さな川) |
| 藻岩 | もいわ | モ・イワ(小さな山) 本来は円山を指したとされる |
| 琴似・発寒・月寒 | ことに・はっさむ・つきさむ | いずれもアイヌ語の音に由来。意味には諸説がある。 月寒はかつて「つきさっぷ」とも読まれた |
| 簾舞・八垂別 | みすまい・はったりべつ | 南区の難読地名。八垂別は現在の南区の一部の旧称で、今も地元の人の口にのぼる |
持ち込まれた故郷の名
札幌市白石区の名は、宮城県の白石に由来します。戊辰戦争で敗れ、禄を失った仙台藩白石城主・片倉家の家臣団は、1871年、新天地を求めて北海道へ渡りました。 600人余りが海を渡ったとされ、そのうち札幌に入って開墾を始めた人々の働きぶりに感心した開拓使の判官・岩村通俊が、彼らの郷里にちなんで「白石村」と名づけたといいます。
こうした「故郷の名前」は札幌の周辺にいくつもあります。隣の北広島市は、明治中期に広島県から入植した人々が開いた「広島村」がルーツ。地図の上に、明治の人の流れがそのまま刻まれているのです。

豊平区には、今も「アンパン道路」と呼ばれる道があります。明治の終わり、月寒に駐屯していた歩兵連隊の兵士たちが道路づくりに動員された際、労をねぎらってあんパンが配られた——という話から付いた名前です。月寒の名物「月寒あんぱん」とともに、地元ではよく知られた話です。
住所のしくみ
札幌の都心の住所は、大通を南北の境、創成川を東西の境として、そこから何ブロック目かで表します。大通の北側1本目の区画が「北1条」、創成川から西へ4本目が「西4丁目」。住所がそのまま座標になっている、全国でも珍しいしくみです。
ところが、郊外に行くと話が変わります。豊平区の「平岸1条」、西区の「琴似1条」「八軒1条」など、それぞれの地域が独自の基準線で「条・丁目」を振っているため、「◯条◯丁目」と聞いても都心の座標とはつながらないことがよくあります。タクシーの運転手さんが必ず「何区の?」と聞き返すのはそのためです。
創成川の起点は、幕末の1866年に大友亀太郎が掘った用水路「大友堀」。つまり札幌じゅうの「東○丁目」「西○丁目」の原点は、開拓使ができる前の、一本の用水路なのです。くわしくは開拓の設計図へ。
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湧き水「メム」の線、4万年前の火砕流、南へゆるく上る坂。足元から札幌を読む。