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05 — 雪と生きる技術
一冬に降る雪は平年で約4.8メートル。人口百万人を超える都市で、これほど雪が降る場所は世界でも珍しいといわれます。札幌の人々は雪をかき、運び、溶かし、ときに祭りにし、ついには街の下にもう一つの街をつくりました。これは、雪と闘い、雪を味方につけてきた都市の、技術と知恵の物語です。
数字で見る冬
除雪にかかる費用は、札幌市の予算のなかでも大きな柱の一つです。雪が多い年には予算が足りなくなり、補正予算を組むことも珍しくありません。市内の道路を夜のうちに除雪する車両が一斉に動き出す光景は、札幌の冬の夜の風物詩。朝、道が通れるのは、夜通し働く人々がいるからです。
1950年 6つの雪像

戦後まもない1950年、札幌観光協会と札幌市は、冬の街に活気を取り戻そうと小さな催しを開きました。大通公園の7丁目に、市内の中学校と高校の生徒たちが雪像をつくったのです。その数、わずか6基。これが第1回さっぽろ雪まつりでした。
転機は1955年。陸上自衛隊が雪像づくりに参加し、高さ10メートルを超える大雪像が登場します。やがて海外からの参加チームも加わり、雪まつりは国際的な祭典へ。2009年には来場者が243万人に達しました。
大雪像の材料となる雪は、大通の分だけで5トントラック約6,000台分。札幌近郊のモエレ沼公園やさとらんどなどから運び込まれ、雪の少ない年は中山峠あたりまで取りに行くこともあるといいます。新型コロナの影響で、2021年と2022年は会場での開催が中止になり、オンライン開催となりました。
かつては自衛隊の駐屯地に近い真駒内にも大きな会場があり、滑り台など子どもが遊べる雪像で親しまれていました。真駒内会場は2005年で幕を閉じ、現在は東区の「つどーむ」会場がその役割を受け継いでいます。「昔は真駒内に行った」と話す札幌の人は少なくありません。
幻と、実現と
札幌は、実は1940年の冬季オリンピックの開催地に一度決まっていました。しかし日中戦争の激化により、日本は開催を返上。幻の大会となります。
そして1966年、札幌は再び開催地に選ばれました。1972年2月の札幌オリンピックはアジアで初めての冬季大会。 70メートル級ジャンプでは笠谷幸生・金野昭次・青地清二の三人が表彰台を独占し、「日の丸飛行隊」と呼ばれました。テーマソング「虹と雪のバラード」は、今も札幌の人々に歌い継がれています。

オリンピックに合わせて、札幌の都市は一気に姿を変えました。1971年11月にはさっぽろ地下街(ポールタウン・オーロラタウン)が開業し、翌12月には地下鉄南北線が開業。 1972年4月には政令指定都市となります。雪の日でも地下を歩いて移動できる都心は、このときに骨格がつくられました。そして2011年、札幌駅と大通を結ぶ約520メートルの地下歩行空間「チ・カ・ホ」が開通し、地下の街はついに一本につながります。
プロジェクト

札幌の地下鉄は、鉄の車輪ではなくゴムタイヤで走ります。走行路の中央に一本の案内レールがあり、車両はそれに沿ってタイヤで走る——「札幌方式」と呼ばれる独自の仕組みです。
当時、札幌市は路面電車に代わる交通として、トロリーバスなども検討していました。そんななか、交通局長の大刀豊がヨーロッパを視察し、パリの地下鉄で採用されていたゴムタイヤ方式の静かさに感銘を受けます。騒音や振動が少なく、坂に強く、加速も良い。これを札幌流に改良して生まれたのが、今の地下鉄です。
南北線の南側、平岸駅の先から終点の真駒内にかけては地上を走りますが、線路はアルミ製のシェルターですっぽり覆われています。雪から線路を守るための工夫で、車窓から見える銀色のトンネルは札幌ならではの風景です。
100年働く電車

札幌の路面電車(市電)には、冬だけ出動する特別な車両があります。車体の前に取り付けた円筒形のブラシを回転させ、線路の雪を吹き飛ばしながら進む除雪車、ササラ電車です。
ブラシの材料は、細く割った竹。台所で使う「ささら」をヒントにしたもので、竹ひごを50本ずつ束ねた列を8列、放射状に取り付けています。札幌で実用化されたのは1925年。100年近くたった今も、毎年11月下旬から12月にかけての初出動がニュースになる、冬の訪れの合図です。
ガイアの夜明け的
1980年代まで、札幌の冬の車は金属のピンを打ち込んだスパイクタイヤが当たり前でした。ところが、ピンが舗装を削って舞い上げる粉じん——「車粉(しゃふん)」が深刻な社会問題に。春先の札幌は、道路から舞い上がる粉じんでかすむほどだったといいます。
1990年に法律でスパイクタイヤの使用が規制されると、空気はきれいになりました。しかし今度は、スタッドレスタイヤに磨かれた交差点が鏡のように凍る「つるつる路面」が現れます。転倒事故を減らすため、札幌市は交差点や坂道に砂箱を置き、誰でも滑り止めの砂をまけるようにしました。タイヤメーカーの技術開発、ロードヒーティング、砂まき——一つの問題を解決すると次の課題が現れる。その繰り返しが、札幌の冬の技術を鍛えてきたのです。

冬の札幌の人は、歩幅を小さくして足裏全体で着地する「ペンギン歩き」を自然にしています。靴底は滑り止め付きが基本。観光客が転ぶのは、たいてい横断歩道の白線の上や、タクシー乗り場の前などの踏み固められた場所です。
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「サッポロ一番」は群馬生まれ。薬膳から生まれたカレー、幻の玉ねぎ「札幌黄」。