稲佐山から見た長崎港
稲佐山から見た長崎港

NAGASAKI

世界に開いた、
ただひとつの窓。

平地のない細長い入り江に、ポルトガル船がやって来たのは1571年。やがて国が扉を閉ざしたあとも、この港だけはオランダと中国に向けて開かれ続けました。 祈りを隠した人々、世界を学びに来た若者、海の上の炭鉱の町、そして1945年8月9日。観光ガイドには載らない長崎の「なぜ」を、史実と伝承の境目を示しながらたどります。

FOUR KEYS

長崎を読み解く、四つの鍵

この町の出来事は、ほとんどがこの四つのどれかにつながっています。

KEY 01

平地のない港

三方を山に囲まれた細長い入り江。深くて波が静かな港は、大きな外国船にとって理想的でした。平地がないぶん、町は坂を上り、海を埋め立てて広がりました。

KEY 02

ただひとつの窓

江戸時代、ヨーロッパとの貿易が許されたのは出島のオランダ商館だけ。中国の船も長崎に限られました。世界の品物と情報は、この港から日本に入ってきました。

KEY 03

隠された祈り

一時は「小ローマ」とも呼ばれたといわれるキリシタンの町。禁教のあとも、信仰は250年にわたってひそかに受け継がれ、1865年に再び姿を現しました。

KEY 04

祈りの町

1945年8月9日、原子爆弾が浦上の上空で炸裂しました。第一目標は長崎ではありませんでした。そこから町はどう立ち上がったのか。

WHY HERE?

なぜ、この入り江だったのか

長崎港は、外海から北東へ細長く切れ込んだ入り江です。入口が狭く奥が深いので、外海が荒れても港の中は穏やか。水深もあり、大きな帆船が岸の近くまで入れました。

その代わり、港のまわりは山がすぐそばまで迫り、平らな土地がほとんどありません。船にとっては理想の港、人が住むには厳しい土地。だからこそ町は斜面に家を建て、海を埋め立て、出島という人工の島まで造りました。「坂の町」長崎の姿は、この地形から始まっています。

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浦上 稲佐山 出島 大浦 外海へ 市街地

BUTTERFLY EFFECT

小さな出来事が、町の今をつくった

一つの決定が思わぬところへ波及していく。長崎には、そんな「バタフライエフェクト」がいくつもあります。

1636ポルトガル人のための島布教を防ぐため、ポルトガル人を集めて住まわせる人工島・出島が完成。
1639ポルトガル船の来航禁止完成からわずか3年で、島の住人がいなくなる。
1641空き家にオランダ商館平戸にあったオランダ商館が、空いた出島へ移される。
以後218年ヨーロッパへの窓医学・天文学・地理の知識が、この小さな島から日本中へ広がった。
1899留学生の空腹中国人留学生たちに、安くて栄養のあるものを食べさせたい。
工夫一つの鍋で豚骨と鶏ガラのスープに、肉・魚介・野菜と麺を入れて煮込む。
名前「シャポン」福建の言葉で「ご飯を食べる」を意味する挨拶が、料理の名前に。
いま長崎ちゃんぽん町を代表する郷土料理として、全国に知られるようになった。
1614〜禁教宣教師は追放され、キリシタンは信仰を隠して暮らすことになる。
250年ひそかな継承祈りの言葉と暦を、親から子へ口伝えで守り続けた。
1865信徒発見完成したばかりの大浦天主堂に、浦上の人々が名乗り出た。
2018世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録。

13 ROOMS

13の部屋から、長崎へ

気になるところから読めます。上から順に読むと、入り江の港が世界への窓になり、祈りの町になるまでが一本の物語としてつながります。

LOCAL COMMON SENSE

長崎の人には「常識」

外から来るとちょっと驚く、けれど地元ではあたりまえのこと。

  • 「くんち」の季節は仕事にならない10月7〜9日の長崎くんちは、諏訪神社の秋の大祭。「もってこーい」の掛け声が町中に響きます。
  • 精霊流しは、にぎやかお盆の夜、故人を送る精霊船を引いて町を練り歩きます。爆竹の音で耳栓が必要になるほど。しめやかな行事を想像すると驚きます。
  • 移動は路面電車市内の路面電車は長崎の足。坂の町なので、電車と歩きと階段の組み合わせが基本です。
  • 「さるく」長崎の言葉で「ぶらぶら歩く」こと。町歩きの観光企画の名前にもなっています。
  • 「和華蘭(わからん)」和(日本)・華(中国)・蘭(オランダ)がまじりあった長崎の文化を指す言葉。卓袱料理やくんちの出し物にその姿が残ります。
  • 自転車はあまり見かけない坂と階段が多すぎて、自転車より歩きのほうが早い場所も。斜面の住宅地には車が入れない道も多くあります。

TIMELINE

年表でたどる長崎

1550

ポルトガル船、平戸へ

九州北西部に南蛮貿易の時代が始まります。

1571

長崎開港

大村純忠のもとで長崎が開かれ、ポルトガル船が入港。港に面した岬に新しい町がつくられます。

1580

イエズス会に寄進

大村純忠が長崎と茂木をイエズス会に寄進。のちに豊臣秀吉が直轄地とします。

1597

二十六聖人の殉教

西坂の丘で26人が処刑されます。

1634

眼鏡橋・くんち

黙子如定が眼鏡橋を架け、長崎くんちが始まったとされる年です。

1636

出島完成

1641年には平戸のオランダ商館が移ってきます。

1689

唐人屋敷完成

中国の人々が暮らす居住区が、町の南に設けられます。

1823

シーボルト来日

翌年、鳴滝塾を開きます。

1859

開港とオランダ商館の終わり

自由貿易が始まり、南山手・東山手に外国人居留地ができます。

1865

信徒発見/亀山社中

大浦天主堂で潜伏キリシタンが名乗り出ます。同じ年、坂本龍馬らが亀山社中を結成。

1916

端島に日本初の鉄筋コンクリート造アパート

海の上の炭鉱の島に、7階建ての集合住宅が建ちます。

1945

8月9日 午前11時2分

原子爆弾が浦上の上空で炸裂。その年のうちに約7万4千人が亡くなりました。

2015・2018

二つの世界遺産

「明治日本の産業革命遺産」と「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されます。

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