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07 — 民権

「自由は土佐の山間より出づ」

板垣退助が1874年に民撰議院設立建白書を提出して以降、土佐は自由民権運動の震源地となりました。その背景には、上士・郷士という幕末以来の身分意識が、形を変えて流れ込んでいます。

立志社と「私擬憲法」

板垣退助らは1874年、高知に自由民権運動の拠点となる結社「立志社」を設立します。初期メンバーには植木枝盛ら若い世代が多く、植木は自身で「東洋大日本国国憲按(こっけんあん)」と呼ばれる私擬憲法草案を著しました。抵抗権や革命権まで明記する、当時としては極めて先進的な内容で、現在の研究者の間でも高く評価されています。

自由民権
自由は土佐の山間より出づ
自由民権運動を表す言葉として広く知られるが、言い出した人物には諸説あり、出典は定かではない。

「板垣死すとも自由は死せず」は本当に言ったのか

1882年、岐阜で板垣が壮士に襲われた際に叫んだとされるこの台詞は、日本で最も有名な政治家の名句の一つです。しかし板垣自身は後年、自分がこう言ったかはくわしく覚えていないと語り、当日同席していた支援者や新聞記者による創作・脚色ではないかという見方も根強くあります。真偽不明のまま伝説化した名句として、歴史を学ぶ人の間ではしばしば話題になります。

もう一つの看板。 「自由は土佐の山間より出づ」も同様で、言い出した人物については中江兆民説や植木枝盛説など諸説があり、確定した出典は見つかっていません。それでもこの言葉が今の土佐に根付いているのは、郷士の反骨精神が実際にこの地で運動として実を結んだからでしょう。
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