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03 — 産業

地下浪人の子が、
三菱を興した。

郷士よりさらに下の身分、「地下浪人」の家に生まれた岩崎弥太郎は、後藤象二郎に見出されて海運業に转じ、日本最大級の産業グループへと育て上げました。

岩崎弥太郎の肖像写真
岩崎弥太郎
1835–1885

岩崎 弥太郎

三菱財閥創業者

郷士よりもさらに下位の「地下浪人」——金銭に困窮した郷士が株を手放した際に生まれるさらに下の身分——の家に生まれました。学問で頭角を現し、藩の財政家・後藤象二郎に抜擢されます。明治に入り、土佐藩の大阪商会を段階的に引き継ぎ、九十九商会・三菱商会を経て郵便汽船三菱会社へと発展させました。西南戦争の軍需輸送で大きく信用を得たことが、一気に大手海運企業へと飛躍する契機となります。

「地下浪人」とは。 土佐藩では郷士株を手放した元郷士とその子孫を指します。郷士よりもさらに下の待遇で、岩崎弥太郎の家も一時は非常に貧しかったと伝えられます。身分的には最下層に近い者が、明治の自由な経済活動の中で一世一代の逆転を果たしたというのは、土佐の身分制を知る人には思わず痛快に映るエピソードです。

九十九商会から三菱へ

1870年、土佐藩の大阪商会の一部を引き継ぐ形で発足した「九十九商会」が三菱の起源です。社名の由来は諸説ある話題ですが、四つの菱の実を組み合わせたマークは、岩崎家の家紋とさらには土佐藩山内家の家紋を重ねて作られたとされ、土佐と三菱の縁の深さを今に伝えています。岩崎弥太郎の死後も、弟の弥之助、長男の久彌へと経営は引き継がれ、三菱は銀行・保険・鉱山など多方面に事業を広げていきます。

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