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百年、殿様のいない
国があった。
前田利家がやってくるおよそ百年前、加賀の国では守護大名が一揆に滅ぼされ、浄土真宗の門徒たちが国を治めていました。 金沢城が建っている場所は、もともとその門徒たちの本山にあたる寺院の跡。 「金沢」という名前さえ、芋を掘っていた一人の男の伝説から始まります。

- 史実史料で確かめられる
- 有力説有力だが異説もある
- 伝承言い伝え・逸話
- 都市伝説根拠の乏しい噂
一向一揆
「百姓の持ちたる国」の百年
長享2年(1488年)、加賀の守護・富樫政親の居城・高尾城を、浄土真宗本願寺派の門徒を中心とする大軍が包囲しました。政親は自害し、ここから天正8年(1580年)ごろまで、加賀はおよそ百年にわたって門徒勢力が実権を握る国になります。史実
この状態を、本願寺ゆかりの記録は「百姓ノ持タル国ノヤウニ成行候」と書き残しました。教科書でおなじみのフレーズですが、玄人が注目するのは、原文が「ように」と書いている点です。
百姓ノ持タル国ノヤウニ成行候『実悟記拾遺』より(本願寺・蓮如の子である実悟の記録に伝わる一節)
実際の支配は、農民だけの「民主国家」だったわけではありません。本願寺から派遣された坊主、地元の有力武士である国人、村々の門徒の組織が複雑に結びつき、形式上の守護として富樫一族が担がれた時期もありました。それでも、戦国大名がいない国が一世紀近く続いたことは、日本史上でもきわめて珍しい出来事です。
この百年が残したものは、ひとつの信仰でした。加賀・能登の人々のあいだに深く根づいた浄土真宗は、江戸時代を通じて「真宗王国」と呼ばれる土壌をつくり、のちに金沢の金仏壇や金箔の需要を支えていくことになります(「金箔と工芸」へ)。
寺から城へ
金沢城は、お寺の跡に建っている
天文15年(1546年)、一向一揆の拠点として、台地の先端に尾山御坊(金沢御堂)が建てられました。史実御坊のまわりには門前町ができ、商人や職人が集まります。いまの金沢の町の芯は、この寺内町にあるといわれます。
天正8年(1580年)、織田信長の北陸方面軍を率いる柴田勝家の配下・佐久間盛政がこの御坊を攻め落とし、城に改めました。ところが盛政は天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで敗れ、処刑されます。その直後の4月、代わってこの城に入ったのが前田利家でした。利家は一時この城を「尾山城」と呼んでいます。
金沢城と兼六園は、南東から延びる小立野(こだつの)台地の先端にあります。西には犀川、東には浅野川。二本の川に挟まれた細長い台地の「舳先」に城を置き、背後だけを守ればよい――地形そのものが要塞でした。兼六園から香林坊へ下る坂の急さは、この台地の縁を歩いている証拠です。
地名の由来
芋を洗ったら、砂金が出た。
「金沢」という地名には、よく知られた伝説があります。むかし、山科の里に芋掘り藤五郎という正直な男がいて、掘った山芋を沢で洗っていると、ひげ根に絡んだ砂金がきらきらと流れ出た。そこから、その沢を「金洗沢(かねあらいさわ)」と呼ぶようになり、それが縮まって「金沢」になった――というものです。伝承
その沢とされるのが、兼六園の脇にある金城霊沢(きんじょうれいたく)。小さな建物の中に、いまも水が湧いています。金沢城の別名「金城」も、この言い伝えと響き合っています。
藤五郎の話には続きがあり、大和から来た長者の娘・和子と結ばれ、嫁入り道具の金を惜しげもなく人に与えたとも語られます。寺町の伏見寺は藤五郎ゆかりの寺として知られます。
県名のミステリー
なぜ「金沢県」ではないのか。
廃藩置県の直後、この地は一時「金沢県」でした。ところが明治5年(1872年)2月2日、県庁が石川郡の美川町(現・白山市)に移され、郡名をとって「石川県」と改称されます。史実
ところが翌明治6年(1873年)、県庁はあっさり金沢に戻ってきました。それでも名前は「石川県」のまま。こうして、県庁所在地の名前と県名が一致しない県が一つ生まれたのです。「石川」はもともと、県内最大の川・手取川の古い呼び名に由来する郡名です。
都市伝説「明治政府は、幕府寄りだった藩の県には城下町の名を使わせなかった」という説が、昔からまことしやかに語られます。たしかに金沢を含め、県名と県庁所在地名が違う県はいくつもあります。ただ、当てはまらない例も多く、県庁移転の理由も、旧藩の影響力が強い城下町から距離を置くためだったという見方のほか、実務上の事情を挙げる見方もあり、定説にはなっていません。
年表
寺から城、城から県へ
長享の一揆
守護・富樫政親が高尾城で自害。門徒勢力の時代が始まる。
尾山御坊(金沢御堂)建立
台地の先端に建てられた、一向一揆の拠点。
佐久間盛政が御坊を攻略
寺は城へ。加賀の一向一揆は事実上の終わりを迎える。
前田利家、入城
賤ヶ岳の戦いの後、能登の小丸山城から本拠を移す。
金沢県 → 石川県
県庁が美川へ。翌1873年に金沢へ戻るが、県名は変わらなかった。
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最大の外様は、どう生き延びたか
一揆の国を引き継いだ前田家は、今度は徳川という巨大な相手と向き合うことになります。