ひがし茶屋街
ひがし茶屋街
石川門と雪吊りの松、徽軫灯籠と霞ヶ池に金箔が舞う金沢の夕景を描いたイラスト

石川県金沢市 歴史情報ポータル

刀より、金箔を選んだ
百万石の城下町。

徳川にもっとも警戒された外様大名は、戦わないことで生き延びました。 殿様は鼻毛を伸ばして愚か者を装い、藩の富は武器ではなく工芸と学問と茶の湯に注がれ、 四百年前の技術者は山の水を「逆サイフォン」で城へ吹き上げました。 そして二十世紀、この町は大きな空襲を受けることなく、城下町の骨格をほぼそのまま今に残しています。 観光ガイドには載りきらない、金沢の「なぜ」を集めました。

前田家の生存戦略を読む 用水の謎を読む

金沢を読み解く、四つの鍵

なぜ、この町は「残った」のか。

江戸時代の金沢は、三都(江戸・大坂・京都)に次ぐ規模を誇った城下町の一つです。明治のはじめにも東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ全国5位の都市だったとされます。それが今、「古い町並みがそのまま残る町」として人を集めている。そこには四つの理由が重なっています。

一つは、戦わない生存戦略。最大の外様大名・前田家は、幕府に睨まれないよう富を武から文へ振り向けました。一つは、水。大火をきっかけに引かれた用水が、城下のすみずみにまで張り巡らされました。一つは、手わざ。藩が育てた職人の技は、藩が消えても町に残りました。そしてもう一つは、近代化に「乗り遅れた」こと。産業の中心が太平洋側へ移り、鉄道も工場も軍需も集まりきらなかったことが、結果として城下町を守りました。

このサイトでは、この四つを軸に、十二の部屋でたどっていきます。

金沢のバタフライエフェクト

一つの大火が、四百年後の風景をつくった。

金沢の「当たり前」をたどっていくと、思いがけない出来事に行き着きます。小さな原因が、何百年もかけて町の姿を決めてしまう。その連鎖を二つ。

火事 → 用水 → 「水の町」

  1. 1631寛永の大火で金沢城が焼ける城下の大半を焼いたとされる大火。城内に水がないことが致命的だった。
  2. 1632辰巳用水、1年足らずで完成犀川上流から約11km。最後は「逆サイフォン」で城内へ水を押し上げた。
  3. 江戸城下に用水が張り巡らされる防火・生活・庭園・染め物に。今も市内には55本の用水が流れる。
  4. 幕末兼六園に「日本最古の噴水」ポンプなし。池との高低差だけで水を噴き上げる。
  5. いま冬、道路から水が出る町豊富な地下水を使った消雪装置。観光客の靴が濡れるのは、四百年前の大火の遠い子孫かもしれない。

一揆 → 信仰 → 金箔

  1. 1488一向一揆が守護を倒す以後約百年、加賀は「百姓の持ちたる国」と呼ばれた。
  2. 1546金沢に「尾山御坊」が建つ浄土真宗の拠点寺院。のちにこの場所が金沢城になる。
  3. 江戸「真宗王国」として信仰が根づく家ごとに立派な仏壇を構える文化が生まれる。
  4. 近代金仏壇・工芸が金箔を求め続ける幕府の統制下でも途絶えなかった箔打ちの技が、需要に支えられて生き残る。
  5. いま金箔の国内生産、ほぼすべてが金沢金沢市は国内シェアの98%以上と説明している。ソフトクリームに金箔が乗る理由の、ずっと手前の話。

サイトを歩く

十二の部屋

それぞれ独立して読めます。興味のあるところから、どうぞ。

起源

百姓の持ちたる国

一揆が百年治めた国に、利家がやってきた。「金沢」の名の由来も。

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戦略

前田家の生存戦略

鼻毛、算盤、人質。最大の外様大名が江戸二百六十余年を生き延びた方法。

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城

金沢城と惣構

石垣の博物館、鉛の瓦、キリシタン大名が27日で掘った堀。

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水

用水の町

約四百年前の逆サイフォンと、動力を使わない日本最古の噴水。

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町

城下町と茶屋街

迷路のような道、全国初の「町名復活」、五木寛之が名づけた坂。

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工芸

金箔と工芸王国

禁止令をくぐり抜けた箔打ちと、「空から謡が降ってくる」町。

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食

加賀の食と和菓子

ぶりおこし、カニ面、氷室まんじゅう。和菓子支出日本一の理由。

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文学

三文豪と学都

鏡花・秋声・犀星、そして四高に集った「加賀の三太郎」。

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人物

世界へ渡った金沢人

台湾のダム、ワシントンの桜、禅を世界へ。海の向こうに残った足跡。

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伝説

伝説と都市伝説

忍者のいない忍者寺、ハトが嫌う銅像、灯台だった神門。

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言葉

金沢ことば

「きのどくな」はありがとう。地元の言葉と、その奥にある気質。

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書籍

関連書籍

小説、評伝、新書。金沢をもっと深く読むための10冊。

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まず読むなら

その殿様は、わざと鼻毛を伸ばしていた。

加賀藩三代藩主・前田利常。百万石を超える所領を持つ最大の外様大名は、それだけで幕府にとって脅威でした。実際、寛永8年(1631年)には謀反の疑いをかけられ、江戸へ出向いて弁明し、からくも切り抜けています。

そんな利常には、有名な逸話があります。鼻毛をぼうぼうに伸ばし、家臣が見かねて鏡を差し出すと「この鼻毛は加賀・能登・越中の三国を守り、お前たちを安泰に暮らさせるためのものだ」と言った――。伝承井原西鶴の作品などに由来する話で、史実とは言い切れません。それでも、この話が金沢で今も語り継がれるのは、前田家が選んだ「愚かに見せて、文化に投資する」という生き方を、これ以上なく言い当てているからでしょう。

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写真で見る

金沢の風景、いくつか

言葉だけでは伝わらない部分を、実際の風景で。各写真は関連するページへのリンクにもなっています。

地元の常識、旅人の知らないこと

金沢の人には、当たり前のこと

ガイドブックにはまず載らないけれど、金沢で暮らすと自然に身につく「常識」をいくつか。

天気

「弁当忘れても傘忘れるな」

晴れていても急に降る北陸の空。金沢の人は折りたたみ傘を鞄に入れっぱなしにしています。

冬の道

道路の真ん中から水が噴く

地下水をまいて雪を溶かす消雪装置。冬の横断歩道では、水しぶきを避けて渡るのが地元流。

雷

冬の雷は「ぶりおこし」

11月から12月、日本海側特有の冬の雷が鳴ると、寒ブリの季節が来たと知らされます。

市場

近江町市場は「おみちょ」

享保6年(1721年)からの市場。地元では「お」に力を入れて「おみちょ」と呼びます。

7月1日

氷室まんじゅうを食べる日

加賀藩が将軍に雪氷を献上した故事にちなみ、紅白緑の酒まんじゅうで夏の無病息災を願います。

言葉

「きのどくな」は、ありがとう

人から何かしてもらったとき、金沢の年配の人は「気の毒な」と言います。恐縮と感謝が混じった言葉です。

概観

金沢、駆け足の年表

詳しい物語は各ページで。ここでは全体の流れだけを。

1488

加賀一向一揆、守護・富樫政親を倒す

以後約百年、門徒による自治が続く。「百姓の持ちたる国」と呼ばれた時代。

1546

尾山御坊(金沢御堂)建立

浄土真宗の拠点寺院。この場所がのちの金沢城となる。

1583

前田利家、金沢城に入る

賤ヶ岳の戦いの後、能登から本拠を移す。加賀藩の始まり。

1599

高山右近、内惣構を27日で掘る

利家の死後、徳川との緊張が高まるなか、キリシタン大名が城下に堀を巡らせた。

1632

辰巳用水 完成

前年の大火を受け、板屋兵四郎が1年足らずで約11kmの用水を完成させる。

1820

ひがし・にしの茶屋町が公認される

城下に散らばっていたお茶屋を集め、二つの茶屋町が生まれる。

1872

「金沢県」が「石川県」に

県庁が一時、石川郡美川町へ移ったことで県名が変わり、翌年金沢に戻っても名前はそのまま残った。

1887

第四高等中学校(のちの四高)設置

西田幾多郎・鈴木大拙らを輩出した、北陸の学都の中心。

1945

大規模な空襲を受けずに終戦

城下町の町割りと多くの町家が残り、今日の町並みにつながった。

2015

北陸新幹線 金沢開業

東京から最短2時間台に。「近代化に乗り遅れた」町並みが、全国から人を呼ぶ資源になった。

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