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08 — 手仕事鉄を鋳て、羊毛を紡ぎ、
紫草で染める町。
盛岡の工芸は、観光用のお土産ではなく、厳しい冬を越す暮らしの道具として磨かれてきました。藩主が京都から招いた職人に始まる鉄器、戦後にこの町を日本有数の産地にした手紡ぎの毛織物、そして古くから伝わる紫の染め物。手仕事の町・盛岡を歩きます。
殿様の茶釜から、パリのティーポットへ。
南部鉄器の歴史は、17世紀半ば、盛岡藩主・南部重直が京都から釜師・小泉仁左衛門を招き、茶の湯の釜を作らせたことに始まるといわれます。盛岡周辺には、良質な砂鉄や、鋳型に使う砂と粘土、燃料の木炭、仕上げの漆など、鋳物づくりに必要な材料がそろっていました。
やがて18世紀、茶釜をもっと手軽に使えるようにと、注ぎ口と取っ手をつけた鉄瓶が考案されます。表面に小さな粒を規則正しく並べた「霰(あられ)」模様は、鉄瓶の代名詞となりました。藩は鋳物づくりを保護し、盛岡の鉄器は藩の特産品として全国へ広まっていきます。
昭和50年(1975)、南部鉄器は国の伝統的工芸品の第一陣に指定されました。近年はヨーロッパを中心に、赤や青、ピンクなどのカラフルな急須(ティーポット)が人気となり、パリの紅茶専門店に並ぶほどになっています。
「鉄瓶で沸かしたお湯はまろやかになる」と言われ、盛岡では今も家庭で鉄瓶を使う人がいます。使ったあとはお湯を捨て、余熱で内側を乾かすのが長持ちのコツ。内側を洗剤でこすらないのが鉄則です。


羊毛を手で紡ぎ、手で織る町。
ホームスパン(homespun)とは、羊毛を手で紡いだ糸を、手織りで仕上げる毛織物のこと。もともとはイギリスの農家の手仕事ですが、日本では明治以降、羊の飼育とともに岩手に根付き、盛岡は今も国内有数のホームスパンの産地として知られています。
戦後、民藝運動の影響も受けながら、盛岡の工房では草木で染めた羊毛を使った、軽くて温かい生地づくりが続けられてきました。一枚のマフラーやジャケットのために、洗い、染め、梳き、紡ぎ、織り、縮絨(しゅくじゅう)と、すべての工程が手作業で行われます。

ホームスパンは「着るほどに体になじむ」と言われ、親子二代で同じジャケットを着るという話も珍しくありません。盛岡の工房では見学や小物づくりの体験ができるところもあります。
紫草の根で染める、紫根染。
紫は古来、最も高貴な色とされてきました。その紫を、紫草(むらさき)という植物の根で染めるのが「紫根染(しこんぞめ)」です。南部地方では古くから紫根染が行われ、「南部紫」「南部茜」は藩の特産品として知られていました。
紫根染は、染めては干し、また染めるという作業を何度も繰り返し、さらに寝かせて色を落ち着かせるため、完成までに長い時間がかかります。絞り染めと組み合わせた「南部絞」の、深く落ち着いた紫の色合いは、今も盛岡の伝統工芸として受け継がれています。

原料となる紫草は現在では野生のものがほとんど見られず、絶滅危惧種に指定されています。栽培や保存の取り組みとともに、紫根染の技術の継承が課題になっています。
材木町と、「賢治の店」。
盛岡駅から開運橋を渡らず、北上川沿いを北へ歩くと、材木町の商店街に出ます。ここには光原社をはじめ、民藝品や鉄器、漆器を扱う店が並び、4月から11月の土曜日には「よ市」と呼ばれる夕方の市が開かれ、地元の人でにぎわいます。
材木町の入口には、宮沢賢治の像が置かれたベンチがあり、隣に座って記念写真を撮る人の姿も。賢治の作品に登場する「イーハトーブ」の雰囲気を、手仕事の品々とともに味わえる通りです。
岩手県北部の二戸市浄法寺は、国産漆の大半を生産する日本一の漆の産地です。盛岡の工芸店では、浄法寺漆を使った器を扱っているところも多く、鉄器・漆器・ホームスパンと、北東北の手仕事を一度に見比べることができます。