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09 — 伝説と都市伝説

山は嫉妬し、羅漢は旅をし、
橋は人を泣かせる。

盛岡には、史実だけでは語りきれない話がたくさんあります。山どうしの恋のもつれ、異国の顔をした羅漢、義経がチンギス・ハンになった説。ここでは、盛岡に伝わる伝説と都市伝説を、「史実」「伝承」「都市伝説」のラベルで区別しながら紹介します。

三つの山の物語

岩手山は、姫神山を遠ざけた。

伝承

盛岡から見える三つの山――北西にそびえる岩手山、北東の優美な姫神山、そして南東の奥に見える早池峰山。この三つの山には、恋のもつれの伝説が語り継がれています。

岩手山は男の神で、姫神山を妻としていました。ところが岩手山は、美しい早池峰山に心を移してしまいます。邪魔になった姫神山を遠ざけようと、岩手山は家来の送仙山(そうせんざん)に、姫神山を遠くへ連れていくよう命じました。しかし姫神山は去りがたく、盛岡の北東にとどまってしまいます。これに怒った岩手山は、火を噴いて暴れ、命令を果たせなかった送仙山の首をはねた――というのです。

伝説のはなし

この伝説には地域によってさまざまなバリエーションがあり、岩手山の噴火の激しさを物語として説明したものとも考えられます。岩手山の東側の山腹の形を「送仙山の首」に見立てる話も伝わっています。

報恩寺の五百羅漢

羅漢の中に、マルコ・ポーロがいる。

史実都市伝説

北山寺院群の一つ、報恩寺の羅漢堂には、499体の羅漢像が並んでいます。胎内の墨書から、享保16年(1731)から4年をかけて、京都の9人の仏師が制作したことがわかっています。木彫りで499体もの羅漢が残り、制作年代と作者までわかる例は、全国的にも非常に珍しいとされます。

この羅漢たちの中に、異国風の顔立ちと衣装をした二体があり、それぞれ「マルコ・ポーロ」「フビライ・ハン」と呼ばれています。実際の尊者名は、第百番「善注尊者」と第百一番「法蔵永劫尊者」。もちろん本当にマルコ・ポーロをモデルにしたわけではなく、インドや西域、中国の僧をイメージした異国的な風貌から、いつしかそう呼ばれるようになったものです。

玄人向け

羅漢像を京都から盛岡へ運んだ際の輸送用の木箱は、そのまま台座として再利用されているそうです。また、五百羅漢には「自分や会いたい人に似た顔が必ずある」という言い伝えがあり、羅漢堂でじっくり顔を探す人も多くいます。

ここだけの話

北行伝説の流れで「義経はチンギス・ハンになった」という説がありますが、フビライ・ハンはそのチンギス・ハンの孫です。義経ファンが報恩寺で「フビライ」の顔をじっと見つめている――というのは、盛岡ならではのちょっとした楽しみ方かもしれません(義経と源氏の記憶参照)。

マルコ・ポーロと呼ばれる羅漢像
「マルコ・ポーロ」の羅漢報恩寺羅漢堂
報恩寺羅漢堂の棚にずらりと並ぶ羅漢像
羅漢堂の内部報恩寺
伝説か、史実か

盛岡の伝説、真偽の早見表。

話区分ひとこと
鬼が三ツ石に手形を押し「岩手」の名がついた伝承県名の由来として広く語られる。起源参照
さんさ踊りは鬼退治を祝う踊りが始まり伝承三ツ石伝説と一体で語られる
石割桜が岩を割った諸説あり割れ目に根付いて押し広げたとする見方が有力
頼朝が泰衡の首を八寸の釘で懸けた史実『吾妻鏡』に詳しい記述がある
義経は衣川で死なず北へ逃れた伝承史実としては否定的。伝承地の多くが旧盛岡藩領
義経がチンギス・ハンになった都市伝説明治以降に広まった説。学術的には否定
報恩寺にマルコ・ポーロの像がある都市伝説異国風の羅漢の愛称。実名は善注尊者
開運橋は「二度泣き橋」伝承盛岡に来た人の実感から生まれた呼び名
音の風景

チャグチャグ馬コの鈴の音。

史実

毎年6月の第2土曜日、色とりどりの装束と無数の鈴をつけた馬たちが、滝沢市の蒼前(そうぜん)神社から盛岡八幡宮までの約14kmを行進します。「チャグチャグ馬コ」です。

馬とともに暮らしてきた南部地方では、農耕馬の守り神である「蒼前様」に、田植えの疲れをねぎらい、馬の無病息災を祈って参拝する習わしがありました。馬の鈴の「チャグチャグ」という音が、その名の由来です。この鈴の音は、環境省の「日本の音風景100選」にも選ばれています。

地元の常識

盛岡の人は、この行進を見に行くと「今年も夏が来るな」と感じるといいます。南部の曲り家(まがりや)のように、人と馬が同じ屋根の下で暮らしていた土地ならではの、馬への深い愛情が伝わる祭りです。

鈴と色鮮やかな装束をつけたチャグチャグ馬コの馬
チャグチャグ馬コ毎年6月
まだある、盛岡の不思議

小さな伝説、いくつか。

烏帽子岩の守り

盛岡城の築城中に掘り出された烏帽子形の巨岩は、城の守り神として祀られた。今も城跡で見られ、「盛岡の吉兆石」として親しまれる。

二度泣き橋

開運橋を渡って盛岡に来た人は、心細さに泣き、去るときは別れがつらくて泣く。転勤族の多い県庁所在地ならではの伝説。

賢治と岩手山

賢治は在学中に岩手山に何度も登った。夜通し歩いて山頂でご来光を迎えた体験は、のちの作品世界にも影響を与えたといわれる。

前九年の町

盛岡市には「前九年」という町名がある。安倍氏と源氏の戦いの名前が、そのまま住所になっている全国でも珍しい例。

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知っていると景色が変わる名所

盛岡城跡から北山の寺町、安倍館の蓮まで。ここまで読んだ話を、実際の場所で確かめる散策ガイド。

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