「ラーメンには何種類あるのか」。この問いに、ひとつの正解はありません。醤油・塩・味噌・豚骨という「味」で分けることもできれば、鶏白湯や煮干しといった「スープ」で、つけ麺や油そばといった「食べ方」で、家系や二郎系といった「店の系統」で、札幌や博多といった「地域」で分けることもできます。実際のラーメンは、これらの組み合わせです。たとえば博多ラーメンは、「豚骨」のスープに「塩や醤油」のタレ、「極細麺」と「替え玉」という食べ方を持つ、「福岡」のご当地ラーメンです。
この図鑑では、ラーメンを5つの見方で整理し、それぞれの種類がどんな味で、なぜ生まれたのかを紹介します。最後に、日本のラーメンがなぜこれほど多くの種類に枝分かれしたのかを、歴史から考えます。地域ごとのご当地ラーメンは第4章、系統が生まれた物語は第6章でも詳しく紹介しています。
早見表:ラーメンを分ける5つの見方
| 見方 | 何で分けるか | 主な種類 |
|---|---|---|
| 味(タレ) | 丼の底に入れる味の「芯」 | 醤油・塩・味噌(+スープの名で呼ぶ豚骨) |
| スープ | だしの材料と炊き方 | 鶏清湯・鶏白湯・豚骨醤油・牛骨・動物魚介・煮干し・鮮魚・貝・甲殻類・背脂・ドロ系・ベジポタ |
| 食べ方 | 麺とスープの出し方、具のまとめ方 | つけ麺・油そば・まぜそば・冷やし中華・担々麺・タンメン・サンマーメン・ちゃんぽん・鍋焼きラーメン |
| 系統 | 源流となった店と、その弟子・影響を受けた店 | 家系・二郎系・大勝軒系・背脂チャッチャ系・淡麗系・無化調 |
| 家で食べる | 保存と調理の方法 | 袋麺・棒ラーメン・カップ麺・冷凍・チルド |
1 基本の4つの味
醤油ラーメン

醤油ダレに、鶏ガラなどの澄んだスープを合わせた、もっとも古く、もっとも広く食べられている味です。昔ながらの「中華そば」の多くはこれ。チャーシュー、メンマ、ねぎ、ナルトをのせた姿は、ラーメンの原風景と言えます。
なぜ明治の港町の汁そばは塩味が中心でしたが、日本人向けに売り出した浅草の来々軒などが、日本人になじみのある醤油で味をつけたことから広まりました。醤油は日本中どこでも手に入る調味料だったため、全国の「中華そば屋」の標準の味になりました(第1章)。
塩ラーメン

塩ダレに透きとおったスープを合わせた、もっともあっさりした味です。スープの色が淡く、だしの味がそのまま伝わるため、作り手の腕がごまかせない味とも言われます。
なぜ明治17年(1884)に函館の養和軒が新聞広告を出した「南京そば」が、函館の塩ラーメンのルーツと言われています。2010年ごろからは、鶏や魚介のだしの香りを生かす「淡麗系」の店が塩ラーメンを看板にし、新しい人気を集めました。
味噌ラーメン

味噌ダレを溶かしたコクのあるスープに、炒めたもやしやキャベツ、ひき肉、太めの縮れ麺。バターやコーンをのせることもあります。にんにくや唐辛子をきかせた辛味噌も人気です。
なぜ戦後の札幌で生まれた、比較的新しい味です(第4章)。寒い土地で体が温まる濃い味が好まれたこと、北海道物産展やフランチャイズ店、インスタント麺で全国に広まったことが、「ラーメンの4つの味」のひとつにまで育った理由です。
豚骨ラーメン

豚骨を強火で長時間炊き、白く濁らせたスープ。九州の多くの店では細いストレート麺を合わせ、紅しょうがや辛子高菜、すりごまで味を変えながら食べます。替え玉の文化もここから生まれました。
なぜ豚骨は「味」ではなくスープの種類ですが、その個性の強さから、醤油・塩・味噌と並べて呼ばれるようになりました。久留米で生まれた白濁スープは、炭鉱や港、市場で働く人々に、安く、腹にたまる一杯として受け入れられ、九州各地に広がりました(第4章・第6章)。
2 スープの系統
鶏清湯(純鶏)

豚や魚介を使わず、鶏だけでだしをとった、上品でうま味の強いスープ。鶏油を浮かべ、塩や醤油で仕上げます。
なぜ昔ながらの中華そばの基本だった鶏ガラスープを、銘柄鶏などの素材にこだわって突きつめた形です。素材の良さで勝負する店が増えた平成以降、「純鶏」をうたう店が目立つようになりました。
鶏白湯

豚骨スープの鶏版とも言える、とろりとしたクリーミーなスープ。豚骨より臭みが少なく、濃厚なのに後味が軽いのが特徴です。
なぜ新横浜ラーメン博物館の年表では、2005年ごろにブームになったとされます。濃厚な味を求める客と、豚骨の強いにおいを避けたい店(住宅地や商業施設のテナント)の両方の事情に合っていたことが、広まった理由のひとつと考えられます。
豚骨醤油

豚骨の濃いコクと醤油の香ばしさを合わせた味。家系ラーメン、和歌山の井出系、徳島ラーメンなど、各地で別々に生まれた人気の組み合わせです。
なぜ豚骨醤油は、和歌山や徳島、横浜の家系など、各地でそれぞれに生まれました。醤油味の中華そばに慣れた土地で、骨を強く炊いた濃いスープが好まれていった結果とも言えます。1989年ごろに首都圏で豚骨ラーメンのブームが起きると、濃厚な豚骨スープはさらに広く親しまれるようになりました。
牛骨ラーメン

牛骨のだしは、ほんのりと甘く、香ばしい香りがあります。鳥取県の中西部では、牛骨のスープの醤油ラーメンが地元の味として親しまれています。
なぜラーメンのだしは、その土地で安く手に入る骨で作られてきました。牛の流通が盛んだった地域では、豚骨や鶏ガラの代わりに牛骨が使われ、それがその町の味になったと考えられています。
動物魚介系(Wスープ・豚骨魚介)

動物系のコクと魚介系の香りを合わせたスープ。濃厚なものは「豚骨魚介」と呼ばれ、魚粉をのせることもあります。濃厚魚介つけ麺の多くはこの系統です。
なぜうま味の相乗効果(第5章)を生かせる組み合わせで、2000年代の初めに首都圏で「Wスープ」が人気になりました。日本人になじみのある「そばつゆ」の香りに近いことも、受け入れられた理由と言われます。
煮干し系

煮干しの香りと、わずかな苦みを前面に出したスープ。あっさりしたものから、煮干しを溶かしこむほど使った「濃厚煮干し」まであります。熱心なファンは「ニボ系」とも呼びます。
なぜ青森県の津軽地方では、近くの海でとれる煮干しでだしをとる中華そばが、古くから地元の味でした。それが平成以降、全国の店に「煮干し」を主役にした一杯として広がりました。
鮮魚系・貝だし系・甲殻類系

乾物ではない生の魚のアラでとる「鮮魚系」、貝のコハク酸のうま味を生かす「貝だし系」、海老の殻を炒めて香りを移す「甲殻類系(えびそば)」。どれも、平成以降に広まった比較的新しい系統です。
なぜラーメン店が増え、ほかの店と違う一杯で勝負する必要が高まるにつれて、和食やフランス料理の技術を取り入れ、新しいだしの材料を探す店が増えました。差別化の競争が生んだ系統と言えます。
背脂系

醤油スープの表面を、背脂の細かい粒が雪のようにおおうラーメン。こってりした甘みがあり、スープが冷めにくくなります。
なぜ東京では1970年代に「背脂チャッチャ系」が人気になりました。有力説新潟県燕市では、昭和初期創業の「杭州飯店」が、値段を上げずに客に満足してもらうため背脂を加えたのが始まりとされます。冷めにくさは偶然の効果で、金属加工の工場への出前が多かったことから、のびにくい極太麺が使われるようになったと伝えられます。
ドロ系・ベジポタ系

「ドロ系」は、骨や野菜を長時間炊き、どろりとするほど濃くしたスープ。「ベジポタ系」は、野菜をすりつぶしてポタージュのようにしたスープで、濃厚さとやさしさを両立させた一杯です。
なぜ新横浜ラーメン博物館の年表では、2009年ごろにドロ系のブームがあったとされます。濃さを競う流れの行き着いた先がドロ系でした。同じころ、野菜の甘みで濃厚さを出すベジポタ系も現れ、濃厚でありながら食べやすい一杯として人気を集めました。
3 食べ方のちがい
つけ麺

麺とスープを別々に出すスタイル。麺は冷水でしめるため、太い麺のコシを楽しめます。食べ終えたつけ汁をだしで割って飲む「スープ割り」が定番です。
なぜ店のまかないから生まれた「もりそば」が始まりです(第6章)。日本人には、ざるそばのように麺をつけ汁で食べる習慣がもともとあったため、受け入れられやすかったと考えられます。
油そば・まぜそば

丼の底のタレと香味油に麺をからめる「油そば」と、ひき肉や卵黄、魚粉などの具をのせて混ぜる「まぜそば」。名古屋生まれの「台湾まぜそば」も、この仲間です。
なぜスープを炊かなくてよいため、店にとっては手間と光熱費を抑えられ、客にとっては濃い味をしっかり楽しめる。学生街など、安くて量の多い食事が求められる町で広まりました。
冷やし中華・冷やしラーメン

「冷やし中華」は、冷たい麺に、ハムやきゅうり、錦糸卵などの具を彩りよく並べ、酢の効いたタレをかけた夏の料理。山形の「冷やしラーメン」は、冷たい醤油スープに麺を入れた、汁のあるラーメンです。
なぜ夏に売れ行きが落ちる温かい麺の代わりとして考え出されたと言われます。冷やし中華の発祥には、仙台説や東京説など諸説があります。冷やしラーメンは、夏の暑い山形の盆地の町で、そば屋が生み出したとされます。
担々麺

中国・四川の汁なしの麺「担担麺」がもとで、日本では、ごまの風味のきいた汁ありの担々麺が広く食べられています。最近は、山椒のしびれる辛さを生かした汁なし担々麺も人気です。
なぜ戦後、四川料理を日本に広めた料理人・陳建民が、日本人の好みに合わせてスープのある形にしたとされます(第6章)。辛さとしびれを好む人が増え、本場に近い汁なしも広まりました。
タンメン・サンマーメン・ちゃんぽん

「タンメン」は、炒めた野菜を塩味のスープで煮て麺にのせた、関東の町中華の定番。「サンマーメン」は、もやしなどの炒め野菜をとろみのあるあんにして、醤油や塩のラーメンにかけた、横浜発祥とされる神奈川県の名物です。長崎の「ちゃんぽん」は、野菜や魚介を炒めてスープで煮こみ、太い麺と一緒に仕上げます。
なぜどれも、一杯で野菜や肉をたくさんとれる、中国料理の「炒めて煮る」技術から生まれた麺です。安く、栄養があり、腹にたまる食事として、町の中国料理店や中華そば屋で育ちました。
ワンタン麺・五目そば・広東麺・天津麺

ワンタンをのせた「ワンタン麺」、何種類もの具をのせた「五目そば」、野菜や肉、魚介のあんをかけた「広東麺」、かに玉をのせた「天津麺」。名前は中国風ですが、日本の中国料理店で育ったものが多くあります。
なぜ中華そば屋や町中華は、同じスープと麺に、ほかの料理で使う具を組み合わせることで、少ない材料から多くのメニューを作り出しました。メニューの多さは、町の食堂として毎日来てもらうための工夫でもありました(第2章)。
鍋焼きラーメン・カレーラーメン・激辛系・スタミナ系

高知県須崎市の「鍋焼きラーメン」は、土鍋で鶏ガラ醤油のスープを煮立てて出す熱々の一杯。北海道の室蘭や新潟の三条などには「カレーラーメン」があり、東京の「蒙古タンメン中本」に代表される激辛のラーメン、茨城県などの「スタミナラーメン」も、それぞれに根強いファンを持っています。
なぜこうした一杯の多くは、ある町の一軒の店が出したメニューが、地元の人々に愛され、その町の名物になったものです。ラーメンが、どんな味や調理法も受け入れる「器の大きな料理」であることがよくわかります。
4 店の系統
家系

麺の硬さ、味の濃さ、油の量を好みで選べるのが特徴。ご飯と一緒に食べる人が多いのも家系ならではです。
なぜ吉村家で修業した人が独立し、「〇〇家」の店を開いたことで系統が広がりました(第6章)。後に、セントラルキッチンでスープを作るチェーン店も「家系」を名乗るようになり、全国に一気に増えました。
二郎系

圧倒的な量と、注文のときの「コール」の作法で知られます。二郎の店そのものと、その影響を受けた「インスパイア系」があります。
なぜ学生街で、安くて腹いっぱいになる一杯として愛され、熱心なファンが生まれました。そのスタイルにひかれた店がまねをし、ひとつのジャンルになりました。
大勝軒系・背脂チャッチャ系・天下一品

東池袋大勝軒の弟子たちが広げたつけ麺の系譜、1970年代に東京で人気を集めた背脂チャッチャ系、京都で屋台から始まり全国チェーンになった天下一品のこってりスープ。いずれも、一軒の店から始まり、系統として広がった例です。
なぜラーメンの世界では、師匠の店で修業した弟子が独立し、同じ味を名乗って店を開く「のれん分け」が盛んでした。味の技術が人から人へ受け継がれることで、系統が生まれました。
淡麗系・無化調・ニューウェーブ

「淡麗系」は、鶏や魚介、昆布などの素材の香りを生かした、透きとおったスープのラーメン。「無化調」は、うま味調味料を使わずに素材だけでだしをとる店を指す言葉です。昔ながらの中華そばを今の技術で作り直す「トラッド系」、和食や洋食の要素を取り入れた「フュージョン系」など、新しい発想の一杯は「ニューウェーブ」とも呼ばれます。
なぜ濃厚な味の競争が続いたあと、2010年ごろから、素材の質と繊細さで勝負する流れが生まれました。料理人としての技術を見せたい作り手と、新しい味を求める客の両方が、ラーメンを「美食」の世界へ押し上げました(第8章)。
5 家で食べるラーメン
袋麺・棒ラーメン・カップ麺

鍋で煮る「袋麺」、乾燥させたまっすぐな麺を束ねた九州の「棒ラーメン」、お湯を注ぐだけの「カップ麺」。日本のインスタントラーメンの需要は年間約59億食にのぼり、家庭のラーメンは店と並ぶ大きな存在です(第3章・第7章)。
なぜ店のラーメンを家でも、という願いから生まれました。九州の棒ラーメンは、新横浜ラーメン博物館の年表では1959年にマルタイが発売したとされ、袋麺よりかさばらず、保存しやすい形として親しまれています。
冷凍ラーメン・チルドラーメン

スーパーで売られる生麺のチルドラーメンに加えて、近年は、人気店の麺とスープをそのまま凍らせた冷凍ラーメンが、通信販売で広く売られています。
なぜ人気店の味を冷凍で届ける通信販売は2010年ごろから始まっていましたが、冷凍技術の進歩に加え、新型コロナウイルスの流行で外食が減り、店が新しい売り上げを求めたことが、広まりを大きく後押ししました。
なぜ、これほど枝分かれしたのか
同じ麺料理でも、そばやうどんには、これほど多くの種類はありません。日本のラーメンが、ここまで枝分かれしたのはなぜでしょうか。歴史、地理、文化という三つの方向から見ていくと、いくつもの理由が重なっていることがわかります。
歴史から見る――「型」のない新しい料理だった
決まった型がなかった。ラーメンは、明治に中国料理として日本に入り、日本人の好みに合わせて作り変えられてきた料理です。そばやうどんのように、江戸時代から守られてきた作法や「正しい形」がなく、伝統の重みにしばられずに味を変えることができました。醤油味の中華そばも、もともとは中国の汁そばを作り変えた「新しい料理」でした(第1章)。
災害と戦争が、料理人を全国に散らした。大正12年(1923)の関東大震災で東京や横浜の店が焼け、料理人たちは各地へ移りました。札幌、喜多方、久留米などで、大正から昭和の初めにラーメンの店が生まれたのは、この時代です(第1章)。戦後は、焼け跡の屋台、アメリカから届いた小麦、大陸からの引き揚げ者が、全国で同時に新しい店を生みました(第2章)。最初から「全国に一つの中心」がなかったことが、町ごとの味の違いにつながりました。
始めやすく、広げやすい商売だった。屋台から始められ、少ない資金で店を開けるラーメンは、多くの人の生きる手段になりました。昭和30〜40年代には、デパートの物産展やフランチャイズ店、インスタント麺が、地方の味を全国に広めます(第4章)。製麺所や業務用スープのメーカーが発達し、麺やスープを一から作れない人でも店を開けるようになったことも、店の数を増やしました。
競争とメディアが、ブームを連鎖させた。店が増えれば、ほかの店と違う一杯を出さなければ生き残れません。テレビや雑誌、インターネットが新しい店や味を次々に紹介し、鶏白湯、濃厚魚介、ドロ系、淡麗系と、ブームが生まれては次の流れが生まれました(第6章)。
地理から見る――列島の長さと、海と、骨
南北に長い列島の、気候の差。日本列島は、北海道から九州・沖縄まで南北に長く、冬の寒さも夏の暑さも地域によって大きく違います。冬の厳しい札幌や旭川では、体の温まる味噌スープや、熱を逃がさないラードの膜が好まれました。夏の暑い山形の盆地では、冷たいスープの冷やしラーメンが生まれました(第4章)。
海に囲まれた国の、だしの材料。日本は海に囲まれ、昆布、鰹節、煮干し、サバ節など、だしの材料となる海産物が各地でとれます。津軽の煮干し、瀬戸内の小魚を使う尾道、港町の函館の塩。魚介のだしを使えることは、中国の汁そばにはない日本のラーメンの特徴になりました(第5章)。
その土地で手に入る骨。スープの土台になる骨も、地域によって違いました。養豚の盛んな九州では豚骨が、牛の流通が盛んだった鳥取の一部では牛骨が、多くの地域では手に入りやすい鶏ガラが使われました。安く、たくさん手に入る材料でだしをとる。その積み重ねが、地域の味になったのです。
港と市場と工場の町。ラーメンの入り口になったのは、横浜、函館、長崎など、外国に開かれた港町でした。そして、ラーメンを育てたのは、市場や炭鉱、工場や港で働く人々の多い町です。市場で働く人に早く出すための博多・長浜の極細麺と替え玉、工場への出前でのびないようにした燕の極太麺。町の産業が、ラーメンの形を決めました(第6章)。
有力説日本の水の多くが、ミネラルの少ない「軟水」であることも、だしのうま味を引き出しやすい条件として挙げられることがあります。
文化から見る――そばの国の、新しい麺
そばとうどんの国だった。日本には、江戸時代からそばやうどんを外で手軽に食べる文化があり、麺をすする食べ方、麺をつけ汁につけて食べる食べ方、屋台で麺を売る商売がすでにありました。ラーメンは、この土台の上に入ってきたからこそ、すぐに町の食べ物になり、つけ麺のような新しい食べ方も受け入れられたと考えられます。ナルトがもともとそばの具だったように、そば屋の文化はラーメンのあちこちに残っています(第5章)。
だしと発酵調味料の文化。和食の基本である「だし」の考え方と、醤油・味噌という発酵調味料が、ラーメンの味の幅を大きく広げました。中国の汁そばにはなかった醤油ラーメンや味噌ラーメンは、日本の調味料の文化から生まれたものです。
職人と、のれん分け。師匠の店で長く修業し、独立して自分の店を開く。日本の職人の世界に根づいた「のれん分け」の文化が、家系、二郎系、大勝軒系のような系統を生み、ひとつの店の味を全国に運びました(第6章)。一方で、師匠の味を守りながらも、自分なりの一杯を目指す職人の気風が、新しい味を生み続けています。
ご当地への愛着と、食べ比べの楽しみ。自分の町の味を誇りに思い、旅先では「その土地の名物」を食べたいと考える気持ちは、日本の旅の文化に深く根づいています。ご当地ラーメンは、この気持ちに支えられて町おこしの主役になりました(第4章)。行列に並び、何軒も食べ歩き、ランキングを語り合う。ラーメンを「趣味」として楽しむ人々の存在も、店に新しい挑戦をうながしてきました。
ご飯と一緒に、ひとりで、いつでも。ラーメンとご飯を一緒に食べる家系や徳島ラーメン、朝から食べる喜多方の「朝ラー」、年越しに食べる高山の中華そば。カウンターでひとりでも気軽に入れる店の作り。ラーメンは、日本人の暮らしのさまざまな場面に入りこむことで、それぞれの場面に合った形に枝分かれしていきました。
そして今、海外に渡ったラーメンは、ヴィーガンやハラール、グルテンフリーなど、現地の食習慣に合わせてさらに姿を変えています(第8章)。ラーメンの種類は、これからも増え続けるでしょう。
ここを見る:あなたの一杯を「分類」してみる
次にラーメンを食べるとき、この図鑑の5つの見方で、その一杯を分類してみてください。味は何か。スープは何でとっているか。どんな食べ方か。どの系統の店か。どこの町のラーメンか。答えを組み合わせると、その一杯がどんな歴史の上に生まれたのかが見えてきます。
この章の出典と注記
事実
- 家系の源流・吉村家は1974年に横浜で開業。ラーメン二郎は1968年ごろの創業。
- 新横浜ラーメン博物館の年表によると、鶏白湯のブームは2005年ごろ、ドロ系は2009年ごろ、淡麗系は2010年ごろ。マルタイの棒ラーメンは1959年発売。
- チキンラーメンは1958年、カップヌードルは1971年に発売。
諸説・補足
- 種類の名前や分け方は、店やメディアによって異なる。本図鑑の分類は、主なラーメン情報サイトや新横浜ラーメン博物館の説明を参考に、Historipedia編集部が整理したもの。
- 「なぜ」の説明や、歴史・地理・文化から見た考察には、記録で確かめられることと、広く語られている説明・編集部の考察とが含まれる。冷やし中華や燕三条の背脂ラーメン、担々麺の由来などには諸説がある。
- 各地のラーメンの特徴は代表的なものを示した。同じ種類でも店によって大きく異なる。
主な参考資料
- 新横浜ラーメン博物館「日本のラーメンの歴史」「ラーメン大辞典」
- ラーメンコミュニティ「ジャンル別ラーメン一覧」、ラーメン情報サイト各種
- 日本ラーメン協会「日本ご当地ラーメン一覧」
