トップ / 特集 / ラーメン ― 一杯の丼から見る日本と世界

第4章

町ごとの一杯

大正〜平成 北海道から九州まで

日本ラーメン協会と日本ラーメンファンクラブがまとめた「日本ご当地ラーメン一覧」には、2025年版で全国185種類のご当地ラーメンが載っています。同じ「ラーメン」という名前でも、町が変われば、スープも、麺も、具も、食べ方も変わる。その多様さこそ、日本のラーメンのいちばんの特徴かもしれません。

ご当地ラーメンの多くは、その町で最初にラーメンを出した店や、ある時期に評判をとった店の味が、周りの店に広がって生まれました。そこには、その土地で手に入る食材や、働く人々の暮らしが映っています。

北海道――味噌と塩と醤油の三都

札幌ラーメンの始まりは、大正11年(1922)に北海道大学の近くで開業した「竹家食堂」とされます。中国人の料理人が作る本格的な中国料理の店で、その汁そばが札幌のラーメンの原点になりました。

札幌といえば味噌ラーメンですが、味噌味が生まれたのは戦後のことです。新横浜ラーメン博物館の年表によると、札幌の「味の三平」の大宮守人さんが昭和29年(1954)に味噌ラーメンを開発しました(昭和30年〔1955〕とする資料もあります)。正式にメニューに載ったのは昭和38年(1963)とされます。炒めた野菜をのせ、太めの縮れ麺を合わせる一杯は、寒い北国の町にぴったりでした。

札幌の味噌ラーメンが全国に知られたのは、昭和30〜40年代に各地のデパートで開かれた「北海道物産展」の実演販売や、味噌ラーメンのフランチャイズ店の全国展開、そして昭和43年(1968)に発売されたインスタント麺「サッポロ一番 みそラーメン」などの力によるところが大きいとされます。

北海道には、ほかにも二つの「ラーメンの都」があります。豚骨と魚介のだしを合わせた醤油味のスープに、熱を逃がさないラードの膜を張る旭川ラーメン。そして、港町らしく澄んだ塩スープにまっすぐな麺を合わせる函館ラーメンです。函館は、明治の「南京そば」の新聞広告が残る町でもあります(第1章)。

札幌の味噌ラーメン
札幌の味噌ラーメン

東北――蔵の町の「朝ラー」

福島県の喜多方ラーメンは、大正の終わりごろ、中国から来た青年・潘欽星が屋台を引いて売り始めた支那そばが始まりとされます。のちに「源来軒」として店を構えました。平打ちの太い縮れ麺に、豚骨と煮干しの澄んだ醤油スープ。麺は、多めの水で打つ「多加水麺」で、つるつるとした口あたりが特徴です。

喜多方は、昭和50年代以降、蔵の町並みとラーメンを組み合わせた町おこしで全国に知られるようになりました。朝からラーメンを食べる「朝ラー」の習慣でも有名で、朝早くから開く店がいくつもあります。

同じ福島県の白河ラーメンは、手打ちの縮れ麺と鶏ガラの醤油スープ。山形県では、赤湯の「辛味噌ラーメン」や、冷たいスープの「冷やしラーメン」が知られます。山形市は、総務省の家計調査で、1世帯あたりの中華そばの外食への支出が全国の県庁所在地などの中で毎年のように1位を争う「ラーメンの町」です(第7章)。

185種類日本ご当地ラーメン一覧(2025年版)の掲載数
1922年札幌・竹家食堂が開業
1937年久留米・南京千両が開業

関東・中部――醤油の東京、家系の横浜

東京ラーメンは、来々軒以来の流れをくむ、鶏ガラと豚骨、魚介のだしに醤油ダレを合わせた澄んだスープに、細めの縮れ麺。チャーシュー、メンマ、ネギ、ナルト、海苔をのせた姿は、多くの人が思い浮かべる「中華そば」そのものです。

横浜からは、昭和49年(1974)に開業した「吉村家」を源流とする家系ラーメンが生まれました。豚骨醤油のスープに鶏油(チーユ)を浮かべ、太いストレート麺を合わせ、ほうれん草と海苔をのせる。麺の硬さ、味の濃さ、油の量を客が選べるのが特徴です(第6章)。

栃木県の佐野ラーメンは、青竹を使って生地をのばす「青竹打ち」の、柔らかく平たい麺で知られます。富山県の富山ブラックは、真っ黒な醤油スープ。戦後の復興期に、汗をかいて働く人々の塩分補給のために濃い味にした、とも、ご飯のおかずとして食べるためだったとも言われます。岐阜県の飛騨高山では、細い縮れ麺に鶏ガラと醤油の「中華そば」が定番で、年越しにラーメンを食べる家庭もあると言われます。

近畿・中国・四国――背脂、早ずし、甘辛の肉

京都ラーメンは、上品な京料理のイメージとは逆に、背脂や鶏ガラを使ったこってりした一杯が多いことで知られます。昭和13年(1938)創業とされる「新福菜館」の真っ黒な醤油スープ、昭和46年(1971)に屋台から始まった「天下一品」の、箸が立つとまで言われるどろりとした鶏ガラスープ。学生や職人の多い町が、腹にたまる一杯を育てたとも言われます。

和歌山ラーメンは、豚骨醤油の「井出系」と、醤油の澄んだ「車庫前系」に分かれます。店のテーブルには、サバの押しずし「早ずし」やゆで卵が置かれていて、ラーメンと一緒に食べ、帰りに自己申告で代金を払う店が多いのが特徴です。平成10年(1998)、テレビ番組で和歌山の店が「日本一」に選ばれたことから、全国的なブームになりました。

広島県の尾道ラーメンは、瀬戸内の小魚でとっただしと鶏ガラの醤油スープに、豚の背脂のミンチを浮かべ、平打ち麺を合わせます。徳島県の徳島ラーメンは、濃い茶色の豚骨醤油スープに、甘辛く煮た豚バラ肉と生卵をのせ、ご飯と一緒に食べるのが定番です。

和歌山ラーメンと早ずし(新横浜ラーメン博物館で)
和歌山ラーメンと早ずし(新横浜ラーメン博物館で)

九州――白濁豚骨の誕生

九州のラーメンは、福岡県南部の久留米から始まりました。昭和12年(1937)、屋台「南京千両」が豚骨でとったスープのラーメンを出したのが、九州のラーメンの始まりとされます。当時のスープは、今のように白く濁ってはいなかったと言われます。

伝承白く濁った豚骨スープが生まれたのは、昭和22年(1947)の久留米の屋台「三九」でのこと、と伝えられます。店主が仕込みの途中で外出した際、火の番を任された母親が強火で炊き続けてしまい、白く濁ったスープができた。それを味つけして出したところ、評判になった――という話です。偶然の失敗が名物を生んだ話として有名ですが、確かめる記録はありません。

豚骨を長時間、強火で炊き続けると、骨から溶け出したコラーゲンや脂が細かく乳化して、スープは白く濁ります。白濁豚骨は、久留米から博多・長浜、熊本、鹿児島へと広がり、それぞれの町で姿を変えました。博多・長浜では、市場で働く人にすぐ出せる極細のストレート麺と、麺だけを追加する「替え玉」が生まれました(第6章)。熊本では、焦がしにんにくの油「マー油」を浮かべ、太めの麺を合わせます。鹿児島では、豚骨に鶏ガラや野菜を合わせた、白濁しきらない半濁のスープが多く、店で大根の漬物が出されるのも特徴です。

東北・北関東の麺の町

喜多方と並んで、東北には個性的なラーメンの町が多くあります。山形県の米沢ラーメンは、細く強い縮れの麺に、鶏ガラと煮干しの澄んだ醤油スープを合わせた、あっさりとした一杯です。手で強くもんで縮れをつける麺は、スープをよく持ち上げます。

山形県南陽市の赤湯温泉では、新横浜ラーメン博物館の年表によると、昭和35年(1960)に「龍上海」がからみそラーメンを考案しました。丼の真ん中に辛味噌のかたまりがのっていて、少しずつ溶かしながら味の変化を楽しみます。同じ山形の冷やしラーメンは、夏の暑い盆地の町で、冷たいスープでもおいしく食べられるように工夫された一杯で、スープに氷が浮かんでいることもあります。

栃木県の佐野、福島県の白河では、竹の棒を使って生地をのばす「青竹打ち」や、手打ちの麺が今も受け継がれています。製麺機ではなく人の手でのばす麺は、太さがわずかにふぞろいで、それが独特の口あたりを生みます。

九州から海を渡った熊本ラーメン

熊本ラーメンは、久留米から伝わった豚骨スープに、鶏ガラを合わせたまろやかなスープと、焦がしにんにくの「マー油」で知られます。

熊本で生まれたラーメン店の中には、海外で大きく成長した店もあります。昭和43年(1968)に熊本で創業した「味千ラーメン」は、1996年に香港に1号店を開き、その後中国本土に広がって、中国本土を中心に数百の店を展開する大チェーンになりました。日本の地方の一軒のラーメン店が、海の向こうで、日本の店の何倍もの店舗を持つようになったのです(第8章)。

ラーメンと「そば」の境目

沖縄には、「沖縄そば」と呼ばれる麺料理があります。そば粉は使わず、小麦粉にかん水(昔は木の灰からとった灰汁)を加えて打った麺で、作り方だけを見れば中華麺の仲間です。けれど、豚骨と鰹節のだしに、三枚肉やソーキ(豚のあばら肉)をのせた沖縄そばは、沖縄の人々にとってラーメンとはまったく別の、ふるさとの料理です。

長崎のちゃんぽんも、豚骨と鶏ガラのスープに、太い麺とたっぷりの野菜や魚介をのせた麺料理で、ラーメンに近い仲間と言えます。どこまでを「ラーメン」と呼ぶのか。その境目は、実は、作り方よりも、その土地の人々がその料理をどう呼び、どう食べてきたかによって決まっているのかもしれません。

ご当地ラーメンが「ご当地ラーメン」になるまで

ご当地ラーメンという言葉が広く使われるようになったのは、昭和の終わりから平成にかけてのことです。喜多方の町おこし、テレビのラーメン番組、雑誌の特集、そして平成6年(1994)に開館した新横浜ラーメン博物館が、全国の有名店を一か所に集めて「食べ比べ」を楽しめるようにしたことが、大きなきっかけになりました。

平成10年(1998)前後には旭川や和歌山のラーメンが相次いで話題になり、「町の名前のつくラーメン」が観光の目的地になっていきます。ご当地ラーメンは、地元の人々が毎日食べる日常の味でありながら、遠くから人を呼ぶ観光資源にもなったのです。

ここを見る:テーブルの上

ご当地ラーメンの違いは、丼の中だけではありません。和歌山の早ずし、鹿児島の大根の漬物、博多の紅しょうがと辛子高菜、徳島のご飯。その町のラーメン店のテーブルに何が置いてあるかを見ると、地元の人がラーメンをどう食べてきたかがわかります。

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この章の出典と注記

事実

  • 「日本ご当地ラーメン一覧」2025年版(日本ラーメン協会・日本ラーメンファンクラブ)の掲載は185種類。
  • 札幌・竹家食堂は1922年、久留米・南京千両は1937年、横浜・吉村家は1974年、天下一品は1971年に屋台で創業。
  • 味の三平の大宮守人さんが1954年に味噌ラーメンを開発(新横浜ラーメン博物館の年表。1955年説あり)。正式メニュー化は1963年とされる。
  • サッポロ一番 みそラーメンは1968年発売。新横浜ラーメン博物館は1994年開館。

諸説・補足

  • 久留米「三九」の白濁スープ誕生の話は伝承で、記録で確かめられていない。
  • 喜多方・源来軒の創業年、富山ブラックの由来、京都・新福菜館の創業年には諸説がある。
  • 各地のラーメンの特徴は代表的なものを示した。同じ地域でも店によって大きく異なる。

主な参考資料

  • 日本ラーメン協会「日本ご当地ラーメン一覧」
  • 新横浜ラーメン博物館「日本のラーメンの歴史」「全国ご当地ラーメン」
  • 総務省「家計調査」
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