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第3章

お湯をかけて2分

1958年〜現在 大阪・池田から世界へ

昭和32年(1957)、大阪府池田市の住宅の裏庭に、小さな小屋が建てられました。中には、中古の製麺機と大きな中華鍋があるだけ。この小屋で、47歳の男が、毎日朝早くから夜遅くまで、たった一人で麺を揚げ続けていました。

男の名は安藤百福。のちに日清食品を創業し、世界で年間1,000億食を超えて食べられるようになる「インスタントラーメン」を生み出した人物です。

台湾に生まれた発明家

安藤百福は、明治43年(1910)、日本の統治下にあった台湾で生まれました。幼いころに両親を亡くし、繊維問屋を営む祖父母のもとで育ちます。若くして台北でメリヤス(ニット)の会社を起こし、やがて大阪に拠点を移して事業を広げました。

戦後は、栄養食品の開発や信用組合の理事長などを務めますが、昭和32年(1957)、理事長を務めていた信用組合が破綻し、ほとんどの財産を失います。残ったのは、池田市の自宅だけでした。

安藤が思い出していたのは、終戦直後の大阪・梅田の闇市で見た光景でした。寒空の下、一杯のラーメンを食べるために、人々が長い行列をつくっていた。人は、温かい一杯のためならこれほど並ぶのか。家庭で、お湯さえあればすぐ食べられるラーメンがあれば――。それが、裏庭の小屋での研究の出発点になったと、安藤自身が語っています。

インスタントラーメン発明記念館の研究小屋(再現)
インスタントラーメン発明記念館の研究小屋(再現)

天ぷらからのひらめき

安藤が目指したのは、「おいしい」「保存がきく」「調理が簡単」「安い」「安全」という5つの条件をそろえたラーメンでした。中でも難しかったのは、麺を長く保存できる状態にしながら、お湯をかければすぐに元に戻るようにすることです。

ヒントになったのは、妻・仁子が台所で天ぷらを揚げる様子だったといわれます。衣を油に入れると、水分がはじけるように飛び出し、表面に無数の小さな穴が開く。味をつけた麺を油で揚げれば、水分が抜けて乾燥し、長く保存できる。しかも、そのとき開いた小さな穴からお湯が入りこみ、すぐに柔らかく戻る――。

こうして生まれたのが「瞬間油熱乾燥法」です。麺をあらかじめ鶏ガラのスープで味つけしてから揚げることで、どんぶりに入れてお湯を注ぎ、ふたをして2分待てば食べられるラーメンが完成しました。

1958年8月25日チキンラーメン発売
1971年9月18日カップヌードル発売
1,242.1億食2025年のインスタント麺の世界総需要

35円の「魔法のラーメン」

昭和33年(1958)8月25日、「チキンラーメン」が発売されました。値段は1袋35円。当時、うどん玉が1玉6円ほどで買えた時代ですから、決して安い食品ではありません。問屋の反応も冷ややかでした。

ところが、実際に売り出してみると、「お湯をかけるだけで食べられる」手軽さが大評判になります。チキンラーメンは「魔法のラーメン」と呼ばれ、発売からわずかの間に、ほかの会社も次々に参入するほどの大ヒット商品になりました。新横浜ラーメン博物館は、チキンラーメンのヒットによって「ラーメン」という呼び名が全国に広まったとしています。

インスタントラーメンの登場は、ラーメンを「店で食べるもの」から「家で食べるもの」へと変えました。昭和40年代にかけて、袋麺は各社から次々に発売され、日本の家庭の台所に欠かせない食品になっていきます。

カップと、フォークと

昭和41年(1966)、安藤はチキンラーメンを売りこむためにアメリカを訪れました。そこで、スーパーの担当者たちが、チキンラーメンを割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べるのを目にします。アメリカには、麺を入れるどんぶりも箸もない――。食文化の違いが、次の発明のヒントになりました。

こうして昭和46年(1971)9月18日に発売されたのが「カップヌードル」です。発泡スチロールの容器に麺を入れ、容器そのものが鍋であり、器でもある。麺を容器の中で宙に浮かせるように固定する「中間保持」など、多くの工夫が詰めこまれていました。値段は100円。袋麺が1袋25円ほどだった時代の、高級品でした。

有力説カップヌードルが全国に知られるきっかけのひとつとして語られるのが、昭和47年(1972)の「あさま山荘事件」です。雪の山中で長時間の警備にあたる機動隊員が、カップヌードルを食べる様子がテレビ中継に映り、多くの人が「あれは何だ」と関心を持ったといわれます。

カップヌードルミュージアム
カップヌードルミュージアム

袋麺の黄金時代

チキンラーメンのヒットを見て、食品会社が次々にインスタントラーメンの世界に参入しました。新横浜ラーメン博物館の年表をたどると、昭和30年代の終わりから40年代の初めにかけて、今も続く定番の商品が相次いで生まれています。

チキンラーメンのように麺に味をつけたものだけでなく、粉末や液体のスープを別の袋に入れた「スープ別添え」の袋麺が登場し、醤油、塩、味噌と、店のラーメンと同じように味の種類が広がっていきました。昭和41年(1966)にはサンヨー食品の「サッポロ一番」と明星食品の「チャルメラ」、昭和43年(1968)には日清食品の「出前一丁」とサンヨー食品の「サッポロ一番 みそラーメン」が発売されます。テレビのコマーシャルとともに、袋麺は日本中の家庭に広まりました。

昭和44年(1969)には、油で揚げずに熱風で乾かす「ノンフライ麺」が登場し、より生の麺に近い食感を目指す競争が始まります。平成元年(1989)には、カップ麺の生産量が袋麺を上回りました。平成4年(1992)に日清食品が発売した「ラ王」は、生麺に近い食感の麺で大ヒットし、インスタントラーメンが「店の味」に近づく流れを作りました。

インスタントラーメンの「工場見学」

インスタントラーメンの工場では、小麦粉にかん水などを加えて練った生地を、ローラーで薄くのばして麺帯にし、細く切り出します。切り出した麺は、波打たせて縮れをつけ、蒸してから、一食分ずつ型に入れ、油で揚げたり熱風で乾かしたりします。

麺に縮れをつけるのは、見た目やスープのからみのためだけではありません。まっすぐな麺をそのまま固めると、麺どうしがくっついて、お湯が中まで入りにくくなります。縮れをつけて麺と麺の間にすき間を作ることで、お湯がまんべんなく回り、短い時間でほぐれるようになるのです。カップ麺の容器の中で、麺のかたまりが上のほうに固定されているのも、下からお湯が回りやすくするための工夫です。

宇宙へ、世界へ

インスタントラーメンは、やがて国境を越えていきます。日本の技術をもとに、アジアの各地で現地の味の即席麺が作られるようになりました。台湾、韓国、インドネシア、タイ、ベトナム……。それぞれの国で、インスタント麺は手軽な食事として暮らしに根づいていきます。

平成17年(2005)には、宇宙飛行士の野口聡一さんがスペースシャトルに日清食品が開発した宇宙食ラーメン「スペース・ラム」を持ちこみ、宇宙でラーメンを食べました。無重力でスープが飛び散らないよう、とろみをつけたスープと一口サイズの麺で作られていました。

世界ラーメン協会(WINA)の推計(2026年8月発表)では、2025年のインスタントラーメンの世界総需要は1,242.1億食で、過去最高を更新しました。国・地域別では、中国・香港が432.7億食で最も多く、インドネシア(145.4億食)、インド(96.0億食)、ベトナム(82.3億食)、日本(59.5億食)と続きます。安藤百福の生まれた台湾は、2024年の推計で9.3億食でした。地球上の人が、平均して年に15食ほどインスタント麺を食べている計算になります。

安藤百福は、平成19年(2007)1月5日、96歳で亡くなりました。晩年まで、昼食にチキンラーメンを食べ続けていたといいます。

「20世紀最大の発明」

平成12年(2000)に民間の研究所が行った調査で、インスタントラーメンは「日本で生まれた20世紀の発明」の1位に選ばれました。

インスタントラーメンは、災害のときの備えとしても欠かせない食品になりました。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では、被災地でお湯の出る給湯車とともにカップ麺が配られ、温かい食べ物として多くの人を支えました。

一方で、インスタントラーメンには、塩分や脂質が多い、野菜が少ないといった課題もあります(第9章)。各社は、ノンフライ麺や減塩、食物繊維を加えた麺など、健康を意識した商品を増やしています。食べ方を工夫すれば、インスタントラーメンは、今も「お湯をかけて2分」の、もっとも身近なラーメンであり続けます。

ここを見る:二つのミュージアム

大阪府池田市の「カップヌードルミュージアム 大阪池田」(インスタントラーメン発明記念館)と、横浜・みなとみらいの「カップヌードルミュージアム 横浜」では、安藤百福が麺を揚げ続けた研究小屋の再現や、世界のインスタント麺のパッケージを見ることができます。チキンラーメンを手作りしたり、自分だけのカップヌードルを作ったりする体験も人気です(体験は予約制のものがあるため、公式サイトで確認してください)。

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この章の出典と注記

事実

  • 安藤百福(1910〜2007)は日本統治下の台湾で生まれ、日清食品を創業した。
  • チキンラーメンは1958年8月25日発売、1袋35円。カップヌードルは1971年9月18日発売、100円。
  • 瞬間油熱乾燥法は、味つけした麺を油で揚げて乾燥させる方法。
  • 2005年、野口聡一さんがスペースシャトルで宇宙食ラーメン「スペース・ラム」を食べた。
  • 世界ラーメン協会の推計(2026年8月発表)で、2025年の世界総需要は1,242.1億食(国・地域別の数字も同じ推計による。台湾は2024年の推計)。

諸説・補足

  • 天ぷらがヒントになった話、闇市の行列を見た話は、安藤百福本人や日清食品の説明による。
  • あさま山荘事件のテレビ中継がカップヌードルの知名度を高めた、という話は広く語られているが、売上への影響を示す数字は示されていない。
  • 「日本で生まれた20世紀の発明」の1位は、2000年に民間の研究所が行った調査の結果。

主な参考資料

  • 日清食品グループ・安藤百福発明記念館の公開資料
  • 世界ラーメン協会(WINA)「世界の即席麺総需要」(2025年・2026年発表)
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