トップ / 特集 / 海を越えた五つの炎

第三章

上海、二つの船

文久3年(1863)夏〜秋 上海/インド洋/大西洋

最初に見えたのは、マストだった。

川の両岸を埋めつくすように、何百本ものマストが林のように突き立っていた。そのあいだから、黒い煙突がいくつも頭をのぞかせ、煙が幾筋も空に流れている。

文久3年5月18日ごろ。チェルスウィック号は、黄浦江をさかのぼって上海に入った。

井上聞多は、甲板の手すりを握りしめたまま、声も出せずにいた。

軍艦だった。英国の、フランスの、アメリカの。大砲をずらりと並べた船が、ここにも、あそこにも浮かんでいる。数えようとして、途中でやめた。100はくだらない。それに、商船と蒸気船が、さらにその何倍も。

横浜の沖に浮かんでいた異国船など、この景色の、ほんの端切れにすぎなかったのだ。

「聞多さん」

隣で、俊輔が小さな声で言った。

「あれ、全部、異国の船ですか」

聞多は答えなかった。答えられなかった。

岸辺には、石造りの建物が壁のように並んでいた。3階建て、4階建ての、四角く、まっすぐな建物。そのどれもに、異国の旗がひるがえっている。

ここは清国の土地のはずだった。日本が千年以上も手本にしてきた、あの大国の土地のはずだった。

けれど、岸辺を歩いているのは、異国の商人と、異国の兵隊と、彼らの荷を担いで走る清国の人足たちだった。人足たちは、汗まみれで、裸足で、背中を丸めて、異国の男たちの怒鳴り声に追い立てられていた。

昼過ぎ、聞多と俊輔は、2人で岸辺の通りを歩いてみた。

石畳の道を、馬車が駆け抜けていく。乗っているのは異国の男女ばかりだ。道の端では、清国の物売りたちが、異国の客に向かって必死に声を張り上げている。

角を曲がったところで、2人は足を止めた。

異国の兵隊が一人、荷車を引いていた清国の人足を、杖で打ちすえていた。荷が道をふさいだ、ということらしかった。人足は地面に額をこすりつけ、何度も何度も頭を下げていた。通りを行く清国の人々は、誰ひとり足を止めなかった。見ないふりをして、足早に通り過ぎていく。

俊輔は、思わず一歩踏み出しかけた。その腕を、聞多がつかんだ。

「やめえ」

「じゃけど」

「わしらに、何ができる」

聞多の指が、俊輔の腕に食いこんでいた。その指が、震えているのがわかった。

町には、異国の兵隊があふれていた。ここ数年、反乱軍がたびたび上海に迫り、そのたびに異国の軍隊が町を守ってきたのだと、商会の者が教えてくれた。自分の国の町を、自分の国の兵ではなく、異国の兵に守ってもらっている。

国が弱いというのは、こういうことなのだ。

2人は、言葉もなく船へ戻った。

商会は、5人を港に浮かぶ自分たちの船に泊めてくれていた。その晩、5人は船の一室に集まった。

誰も、なかなか口を開かなかった。窓の外からは、夜になっても荷揚げの掛け声と、蒸気の音が聞こえてくる。

最初に口を開いたのは、聞多だった。

「攘夷は、やめじゃ」

4人が、いっせいに聞多を見た。

「あの船の数を見たろう。あれが本気で攻めてきたら、長州どころか、日本じゅうの砲台をかき集めても一日ももたん。清国を見てみい。あれだけの大国が、自分の国の港を、異人に好き放題にされちょる」

聞多の声は、かすれていた。

「わしは、御殿山で火をつけた。あれで異人が怖がって出ていくと思うちょった。とんだ思い上がりじゃった。あんなものは、象の足に蚊が止まったほどにも効いちょらん」

「聞多さん……」

「国を開かにゃならん。開いて、向こうと同じだけの力をつけにゃならん。それ以外に、日本が清国の二の舞にならん道はない」

聞多は、拳で膝を打った。

「今すぐ帰って、藩の連中に言うて聞かせたいくらいじゃ」

「それは、いけません」

静かに言ったのは、庸三だった。

「今帰っても、聞多さんは『上海で船を見てきた』と言えるだけです。船の数なら、誰でも数えられる。わしらが持って帰らにゃならんのは、あの船の作り方です」

聞多は、しばらく庸三をにらんでいた。それから、ふっと肩の力を抜いた。

「……そうじゃのう。器械になりに来たんじゃった」

翌日、5人は、ジャーディン・マセソン商会の上海支店をたずねた。

支店の責任者は、愛想のよい英国人だった。通詞はいない。こちらの英語は、横浜の波止場で覚えた片言ばかりだ。

責任者は、ゆっくりと、子どもに聞かせるような英語で尋ねた。

英国で、何を学びたいのか、と。

5人の中で、とっさに答えたのは聞多だった。聞多は、海軍のことを学びたい、と言いたかった。軍艦を造り、動かし、国を守るための学問を。その「海軍」にあたる英語を、頭の中で必死に探した。

「ネビゲーション」

口から出たのは、その言葉だった。

責任者は、にっこりとうなずいた。

「ナビゲーション。なるほど、航海術ですね」

言い間違いだった。けれど、聞多にはそれがわからなかった。弥吉だけが、ほんの一瞬、何か言いかけて口をつぐんだ。相手は満足そうにうなずいて、もう帳面に何か書きつけている。今さら訂正する英語も、思いつかなかった。

航海術を学びたいのなら、船の上で実地に学ぶのが一番だろう。英国人の責任者は、親切のつもりで、そう考えたのに違いない。

5人は、2つの船に分かれることになった。

先に出るペガサス号は、525トンの小さな帆船で、乗れるのは2人だけだった。聞多と俊輔が、その船に乗ることに決まった。残りの3人は、10日ほどあとに出るホワイト・アッダー号で後を追う。

出航の朝、波止場で、5人は向かい合った。

「ロンドンで会おう」

聞多が言った。

「どっちが先に着くか、競争じゃのう」

俊輔が笑った。笑ったが、その手は懐の中の、溶けたギヤマンを握っていた。

謹助は黙って2人に頭を下げた。庸三は、2人の肩に一度ずつ手を置いた。

弥吉は、何か言おうとして、やめた。航海術、と聞いてうなずいた、あの責任者の顔が、なぜか頭から離れなかった。

ペガサス号が外海に出て2日目に、聞多と俊輔は、自分たちが客ではないことを知った。

「おい、ジャニー!」

朝まだ暗いうちに、怒鳴り声で叩き起こされた。ジャニー、というのが、日本人を馬鹿にした呼び方だということは、すぐにわかった。

寝床は、船底の水夫部屋の隅だった。客室など、どこにもなかった。

渡されたのは、甲板を磨くための石と、たわしと、バケツだった。

「聞多さん、これは」

「わからん。わからんが、やれということじゃろう」

2人は、言われるままに甲板を磨いた。帆綱を引き、樽を運び、水夫たちの食べ残しの皿を洗った。食事は、石のように固いビスケットと、塩辛い干し肉だけだった。水は、樽の中で日に日に濁っていった。

それでも、俊輔は転んでもただでは起きなかった。

水夫の中に、14、5歳の少年が一人いた。いちばん下っ端で、いちばんこき使われていた。俊輔は、その少年と並んで甲板を磨きながら、手に持つものを片っ端から指さした。

「これは」

「ブラシ」

「これは」

「バケツ」

「これは」

「ロープ」

少年は、はじめは面倒くさそうだった。けれど、俊輔が一つひとつ口の中で繰り返し、次の日にはちゃんと覚えているのを見ると、面白がって、帆の名前や、天気の言い方や、水夫たちの悪口の意味まで教えてくれるようになった。

夜、船底の寝床で、俊輔は昼に覚えた言葉を、炭のかけらで板切れに書きつけた。聞多は、それを横目で見て、あきれたように笑った。

「おまえは、どこにおっても学ぶのう」

航海術を学びに来た若者には、まず水夫の仕事から覚えさせる。それが、船長の受けた知らせの意味だった。2人がそのことに気づいたのは、ずっとあとになってからである。

いちばん困ったのは、用足しだった。

船の便所は、船べりから海の上に突き出した横木だった。そこにまたがって、つかまりながら用を足す。下は、すぐ海だ。波が荒ければ、しぶきが尻を打つ。

2週間ほどたったころ、俊輔が腹を下した。

ひどい下痢だった。熱も出た。一日に何度も、這うようにして船べりまで行かなければならない。顔は土気色になり、足がふらついた。

その夜、海が荒れた。

船は大きく傾き、甲板を波が洗った。俊輔は、また腹を押さえて立ち上がった。

「俊輔、待て」

聞多が、どこからか一本の縄を持ってきた。それを、俊輔の腰にぐるぐると巻きつけ、反対の端を、自分の手首に巻いた。

「何するんですか」

「落ちたら、わしが引き上げる」

「聞多さん、そんな……」

「黙って行ってこい。こんなところで海に落ちて死んだら、萩で何と言われるか。英国へ行く途中、便所から落ちて死んだ、じゃぞ」

俊輔は、思わず吹き出した。吹き出したとたん、また腹が痛んで、顔をしかめた。

暗い船べりで、俊輔は横木につかまった。聞多は、マストの根元に足を踏ん張って、縄を握りしめていた。波が来るたびに、縄がぴんと張った。聞多は、そのたびに歯を食いしばって引いた。

空には、見たこともない星が並んでいた。

「聞多さん」

船べりから、俊輔のかすれた声がした。

「何じゃ」

「わしら、侍ですよね」

「おう」

「侍が、異人に甲板を磨かされて、海の上で尻を出して、縄でつながれちょる」

「そうじゃのう」

「……可笑しいですね」

聞多は、縄を握ったまま、しばらく黙っていた。

「可笑しいのう」

それから、低い声で言った。

「じゃが、俊輔。わしは、御殿山で火をつけたときより、今のほうがずっとましなことをしちょる気がするんじゃ」

波が、また船を揺さぶった。聞多は、縄を引いた。

同じころ、10日遅れて上海を出たホワイト・アッダー号では、3人が、まったく違う航海をしていた。

こちらは、茶を運ぶための足の速い帆船で、3人には客として小さな船室が与えられていた。食事は船長と同じ卓でとった。

謹助は、はじめのうち船酔いでほとんど起き上がれなかったが、やがて慣れて、甲板で本を読むようになった。

庸三は、船大工のそばを離れなかった。裂けた帆桁を継ぐ手つき、鉄の金具を打ちつける槌の音。言葉は通じなくても、手の動きは見ればわかる。庸三は、帳面に図を描き、寸法を書きこんだ。船大工は、はじめは気味悪がったが、やがて面白がって、わざと手元をゆっくり見せてくれるようになった。

弥吉は、夜になると甲板に出た。

航海士が、六分儀で星の高さを測っている。弥吉は、そのそばに立って、身振り手振りで頼みこんだ。航海士は首をかしげたが、弥吉が六分儀を正しく構えてみせると、目を丸くして笑った。

それからは、毎晩、2人で星を測った。

南十字星を、弥吉はこの船の上で初めて見た。

本当に、航海術を学んでいるのは自分たちのほうだ。弥吉は、星を見上げながら、ふと思った。先に行った2人は、今ごろどうしているだろう。

船は、アフリカの南の端を回った。

喜望峰の沖は、噂どおりの荒海だった。山のような波が、小さな船を持ち上げては、谷底へ叩き落とした。ペガサス号の船底で、俊輔と聞多は、互いの体を縄で柱に縛りつけて、嵐が過ぎるのを待った。

それから、大西洋を北へ。

赤道を越え、また寒くなり、霧が濃くなった。

横浜を出てから、4か月あまり。

ある朝、聞多は、甲板の上で、空気の匂いが変わったことに気づいた。

潮の匂いに、何か別のものが混じっている。焦げたような、重たい、鼻の奥にまとわりつく匂い。

石炭の煙だった。

霧の向こうに、ぼんやりと岸が見えた。川の両岸に、倉庫と、煙突と、また煙突が、どこまでも続いている。上海の何倍もの、数えきれない煙突だった。そのすべてが、黒い煙を空に吐き出していた。

テムズ川だった。

「俊輔、起きろ」

聞多は、船底へ駆けおりて、まだ痩せこけたままの俊輔の肩を揺さぶった。

「着いたぞ。ロンドンじゃ」

目次・登場人物

この章の史実と創作

史実

  • 5人は文久3年5月18日ごろ上海に着き、100隻を超える外国の軍艦や蒸気船と港の繁栄を目にして、攘夷は不可能だと考えを改め、開国論に転じたとされる。
  • ジャーディン・マセソン商会の上海支店で渡航の目的を問われ、「ネイビー(海軍)」のつもりで「ネビゲーション」と答えたため、「航海術」を学びたいと受け取られた(言ったのは井上聞多とされる)。
  • 聞多と俊輔は525トンの帆船ペガサス号に乗り、水夫として扱われた。水夫たちは日本人を「ジャニー」と呼んで見下した。
  • 便所は船べりから張り出した横木につかまって用を足すもので、嵐のときは体を縄で縛って身を守った。伊藤はひどい下痢に苦しみ、のちに「その困難の状は筆舌の能く尽す所でなかった」と振り返っている。
  • 山尾・野村・遠藤の3人は、遅れて出たホワイト・アッダー号に客として乗り、ずっとよい待遇を受けた。
  • 上海では、5人は商会の船に泊まったとされる。1860年と1862年には太平天国の軍が上海に迫り、英仏などの軍隊が町を守った。
  • スエズ運河の開通(1869年)前で、船はアフリカ南端の喜望峰を回った。横浜からロンドンまでは4か月あまりかかった。

創作

  • 上海の通りで人足が打たれる場面、ペガサス号で少年水夫から言葉を教わる場面。
  • 宿で聞多が「攘夷は、やめじゃ」と語り、庸三がいさめる場面。
  • 聞多が自分の手首と俊輔の腰を縄でつなぐ場面と、船べりでの会話(縄で身を守った事実をもとにした創作)。
  • ホワイト・アッダー号での庸三と船大工、弥吉と航海士の場面。
広告